とてもとても素敵な、おとぎ話にでも出てくるような家族にお世話になってた時のことをお話します。
この家族のうわさを聞いたのは夏のあいだ南島を旅してにいたときのこと。
いつもはヒッチハイクして旅して回っていたのだけど、1週間だけレンタカーして旅していたときのこと。いつもいろいろな人に車に乗せてもらっているから、今度は自分がヒッチハイカーを拾って恩返ししたいとおもっていたら、ついにヒッチハイクをしている女の子を発見。彼女はオーストラリア人で、町から今滞在しているファームへ数十キロほどの道のりをかえるところだった。ちょうど僕たちの行く道の途中だったから、「いいよ、一緒にいこう。」って。
その子をファームまで送り届けると、そこのお父さん、シロは、「いま皆で夕食を食べているところだから君たちも中にはいっていっしょにご飯をたべよう。」って。
ここの家族は自給自足生活をしている。
シロの優しくて強い輝きをもった目がとても印象的だった。
シロと話していると、こういった生活を選択して実践しているのはただ生きていくための食べ物を得るためだけでなく、精神的な日常の実践の意味の方が大きいような気がした。
シロが「もし北島に戻ることがあったら、ここの家族を訪ねていったらいいよ、きっと何か学ぶことがあるよ。」ってその家族の住所を紙に書いて渡してくれた。「彼らは電気や、電話なんかの機械を一切使わないんだ。畑は馬を使って耕して、木は斧で切って、石油や機械に頼らずにすべて手で仕事をしている、とても質素に生きているカソリックのファミリーだよ。」
この言葉にいっぱいの想像が膨らみ、心がわくわくした。
メールも電話もないものだから、お手紙をだした。「あなた達の話をあなた達の友人から聞きました。あなた達のように暮らすのが僕の夢です。よかったらあなた達のところで一緒に生活して、学びたいと思っています。」
返事がきた。「もちろんです。いつでもきてください。」
またいつものことヒッチハイクして北を目指した。
ヒッチハイクして止まってくれたのは赤ちゃんを乗せたお母さんの運転する車だった。「ここのFamilyに会いにいきたいのです。」って伝えると、「私たちがそのFamilyよ!さぁ一緒に行きましょう」って。
ここへ、家族が移ってきたのは30数年前のことらしい。教師だったお父さんとお母さんにつれられ、子供達は街から、この川のほとりの小さな土地へ移り住んできた。街の暮らしより、自然の中での暮らしにこれからの子供達の未来の場にふさわしいと感じてのことだったみたい。こどもたちもそれをわかっていて、学校に行くのをやめて、自分たちで家をたて、畑を耕し始めた。いまでは、教師だったお父さんお母さんはひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんとなり家族4世代が一緒に住んでいる。
ファームには家が何軒かあり、ぼくは手紙を書いたジョセフの家にお世話になった。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの家は馬のいるフィールドを横切ったところに。兄弟の家は川を渡った丘の上に。ジョセフは一番初めに移り住んできた子供達の一人で、今では7人の子供と、3人の孫がいる。
ジョセフに初めてあったときもとても目が印象的だなとおもった。シロと同じ目の輝きをしている。
こじんまりとした家に家族みんなが肩を寄せ合って暮らしている。薪ストーブの上で料理をし、夕食の後は料理をした火で暖をとりながらお父さんの読む物語に子供達は耳を傾けている。ここでは、トウモロコシがよく取れるようで、トウモロコシを挽いて、ダッチオーブンで焼いたパンはとても素朴でおいしい。
日中は、女の人たちは洗濯したり、食事したり、畑にいったり。男手は、斧で木を切って、薪木にしたり、馬を引いて畑を耕したりと。ここの子供達は感心するくらいよく働く。それも、率先して楽しそうに誇りをもって仕事をしている。子供達は皆ホームスクール、学校に行かず家で勉強している、そして大人達の手伝いをして、日々いろいろなことを自分たちの手を使って経験を通して学んでいる。
こうした機械を使わず、人間の手でできるだけの範囲とスピードで暮すことは、彼らの自然への、神への畏敬の念が込められているように感じた。そして、こうやって家族皆が寄り添って、助け合い、分かち合う姿をみて、人間としての本来の構成単位とはこういうことなんじゃないかなと感じた。
だって、皆とても幸せそうに日々を営んでいたから。。。
家族っていいなぁ。。。