まだ、夏の気配が残る9月の終わりより、京都の山で瞑想をしてきました。
沈黙の10日間の瞑想の日々の間に、夏はすっかり姿を消し、金木犀が香り、柿が実り、秋空が広がっていました。
瞑想ではただただ、感覚が移ろい、変化していくのを感じていきます。
自然もその10日間という短い間に、確かに移ろい、変わっていきました。
静かにたたずむことで、日常では見落としていた、体の内側の、外側の変化を感じることができます。
心が、静まっていくと、内側にどんどんと意識を向けていくいことができて、新しい発見が一杯あります。まるで、旅をしているような、、、。
まだまだ、旅路はながそうですが、それも楽しい道のりとなっていきそうな。
ぼくは、このVipassana瞑想が大好きです!
世界中にセンターがあって、必ず旅先でもセンターに滞在して、瞑想や、奉仕をします。
瞑想が深められる喜びはもちろんのこと、心美しい人々との出会いも必ずあります。誰も知らない旅先で、こういった人たちと知り合えて、一時の間一緒に過ごせるのはこの上ない幸せなことです。
(瞑想センターのことをより詳しく知りたい人はコチラ → )
センターから出た後は、兵庫、岡山の知人を訪ねて旅してきました。
兵庫の篠山で、自然農をやっている大地くんを訪ねました。
ちょうど篠山の城下町では、秋のお祭りをやっていました。
友人の大地をはじめとした地元の若い有機農家が集まって、なんだか楽しいことを企画して盛り上がっていました。ここは大阪や神戸といった都市からの小旅行のお客さんや、オシャレなアパレルのお店の出店もあったりと、農家とオシャレと田舎と街とが混ざり合っている感覚がとても面白かった。
大地は、3,4年ほど前に神奈川からこちらの谷あいの山の一斜面に土地を購入して、引っ越してきました。まったく、農業経験がなかったのに、有機農業をすっ飛ばして、自然農で、お米も畑もばっちりやって、食べ物は塩などの山では取れない調味料以外はほぼ100%自給自足をしていると言っていました。「自給自足をしたい。」と、いつも口で言ってばっかりのぼくにとって、おなじ30代の大地は大、大、大尊敬の存在です。
8月に訪れたときに、作り途中だったコンポスト・トイレも出来上がっていて、より無駄のない循環可能な生活に向かっていました。
(大地のBlog → 

『大地の家の台所』
『家のすぐ横に、畑に果樹園、それに養蜂も。こんな土地がぼくの憧れ。』
その後は、偶然、瞑想センターで再会した旅友達に連れられて、とっても温かい家族にお世話になって、いっしょに稲刈りをさせてもらいました。
小高い丘の上にある土地に、自分たちで建てた4軒の家がぐるりと立ち並び、そこに家族3世代で暮らしているファミリー。お父さん、お母さんをはじめ、みんなのびのび暮らしている姿がとても印象的だった。。。
稲刈りでは、家族が集まり、お友達が集まり、みんなでワイワイ。
暮らしを営むって、楽しいことなんだね。
『庭で、朝ご飯。』
ここのファミリーと、ぼくがいつも京都にいったらお世話になっていたユッケさんがなんとお友達で、しかもユッケは近所に引っ越して、農業をやっているとのこと。ユッケは車を飛ばして、稲刈りをしているところへやってきてくれて、久しぶりの再会。聞くと、ユッケと彼氏は、今や自然農の専業農家さんで、それで暮らしているとのこと。すごいね、すごいね!!ユッケの畑の野菜たちのことを話すときの嬉しそうなこと。いつか、ユッケの野菜を食べてみたいな。
旅は、えみおわすの家族をたずねて、さらに西の岡山へ。
東京の高尾の彼らの暮らしは、とっても丁寧な気持ちの良い物と人に囲まれた暮らしだったから、より自然一杯の岡山での彼らの暮らしはどんなだろう。。。
そこは、朝もやがたち、お寺が立ち並ぶ門前町、築75年のほれぼれしてしまうような家がかれらの新居でした。二人とも「とにかく、近所の人たちが本当にいい人ばかりで」と口をそろえて言っていました。いつも、お爺ちゃん、お婆ちゃん達がお野菜を持って、8か月の二人の赤ちゃん・壮太を見に来てくれるそうです。
ちょっと車にのって、山のほうへ行ったら、アケビがたわわになり、おまけになんと自生のキウイまで。二人は、草木染めに使える木々を見つけて、目を輝かせ胸を弾ませていました。なんだか、これから、壮太の成長とともに、2人の暮らしがこれからこの土地でとっても楽しくなって行くのが、目に見えるようです。
 
『えみおわすの家のお勝手口から。』
はー、友人たちの暮らしぶりに、ぼくの田舎暮らし、自給自足の想いは、はち切れんばかりです。