ねずみの家族がやって来た晩。

お母さんには、チューチューならぬ「接吻(せっぷん)」と名付けて、ちび四匹は、ネネ、ズズ、ミミ、チチと名付けようと楽しい思いを枕に抱いて眠りについた夜でした。

翌朝、居間のふすまを開けると、まだネズミ家族はごろごろとそこに。寝返りをうったのか、ポジション少し変わっているけど。

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うふふ、ねずみくんたちとの楽しい一日の始まりだ、と胸が弾んだのはつかの間。ねずみ一家の側に行くと、お母さんねずみは冷たくなっていました。。。

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ねずみの死体は家の隅っことかにたまに見かけるけど、こうして親近感を持って接してしまうと、ねずみの死は悲しいものでした。そしてこの子ねずみ4匹。。。。これもまた、家の隅っことかでチョロチョロとしていれば、おかまないなしなのに、居間の座敷にコロコロと転がっているとね。。。どうにかしてあげないと。。。

寒くないようにと、カゴにタオルと新聞紙をちぎったのを入れて暖かい部屋を。

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ぼくがねずみを世話していると地元の人が知ったら、気違いだと思われるだろうな、、、。一般的には、ねずみは悪さをするので、やっかいがれる存在だものね。東京の下町の古民家に住んでいた友達も、ねずみの害に困っていたな、、、。

世間一般ではそんな存在のねずみも、こうして乳児のねずみたちを見ると、「あーかわいいな」と口元が緩むのです。(虫とかだったらこうは思わないし、同じ哺乳類には親近感を感じるのかな、と考えたり。)ましてや、目の前でお母さんが子を残して逝ってしまわれては、子を残されたコチラとしては、何か責任感と親心まで芽生えて来てしまいました。

「ハムスターはヒマワリの種を食べていたっけな。」と、TABI食堂のお仕事でナッツ類のストックが豊富なことを誇らしげに思いながら、ひまわりの種をあげました。けど、ぜんぜん食べる様子はなく、、、。

まだ、歯も生えていない子ネズミたち、そりゃ、そうだ。授乳中の赤ちゃんにはやっぱり流動食をあげないとだと思って、車で片道45分のホームセンターまでスポイトを買いに。スポイトで口に甘酒の汁をあげるけど食べているのか、いないのか、、、。

気になって、何度も何度もカゴの中をのぞく。スヤスヤと眠る子ねずみ達。夜になると、チョロチョロ、ミューミュー。ふーん、ねずみは夜が元気なんだな。そういえば屋根裏の足跡が聞こえてくるのもいつもお布団の中だものね。

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こんな試行錯誤のねずみのお母さんの代役業も、数日のことでした。ある朝、子ねずみたちはみんなで寄り添いながら、まるく冷たくなっていました。

そのぬくもりの抜けた、手のひらから伝わってくる冷たさは、4つの小さな命が生から死へと境界線を越えていったことを、はっきりと伝えていました。

 

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子ねずみたちをお母さんねずみと同じ3つのフェイジョアの木の下に埋めてあげました。四万十川が一望できて気持ちのよい風がいつも吹き抜けている、その場所へ。

その日は、ねずみの空白を埋めたかったのか、裏山の植物をお部屋に活けました。「活ける」とはなんとも意味深く、利己的な言葉でしょう。植物の命を頂いて、またそれを「活かす」というのですから。

これからは、フェイジョアの木がぼくのねずみの物語となることでしょう。

ありがとうね、一緒にたのしかったよ。。。

 

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