これはジョークである。

 

ま・っ・た・く のジョークである。

 

 

かの坂口恭平氏が、ホームレスの人々の暮らしを調査した際に、「同じ空間にありながら異なるレイヤーに住む人々」と称して本に記していた(と思う)。我が四万十の暮らしも、実に世の中の一般的な尺度から言ったら、これまた異なるレイヤーの暮らしだと常々感じている。(イメージとして、レイヤーとは何層にもなったミルクレープのようなもので、同じ一つのケーキだが、人々はいろいろいろな層の中で暮らしているというイメージ。)ぼくが今いるレイヤーでは、「裏山、庭付き、畑やり放題、四万十の絶景なる借景つきの、大きな大きな憧れの古民家暮らし、家賃・数千円/月」の暮らしが可能なのである。都会の暮らしのレイヤーからしたら信じられない話だろう。なので、日々、まるで中米の漁師のような暮らしである。、日の出とともに起きて瞑想、YOGAをして、朝の畑にでて一汗かき、川にお散歩にいってひと泳ぎして涼んだ後に、畑でとびきりの自然農の野菜を収穫して、これ以上ない新鮮なご飯を頂いて、夕暮れにまた瞑想をして、夜に音楽を奏で、眠くなったら寝るのである。表現をもう少しお洒落に「女子力UP」的に書いたら、まるでちょっといいお値段のするオーガニックフード付きリトリートのように聞こえなくもない。(大きな違いは「お金を払って手に入れるものなのか、そうでないか」。または、「自分で創造したものなのか、そうでないか」である。)そうして、たまに、街へ仕事(→現金を稼ぐための仕事)へ出かけていけば、またここでのオーガニック・リトリート暮らしが数ヶ月出来るのである。(また、この街での、た・ま・に の仕事がとても楽しい。(「仕事」とは実にトリッキーな言葉である。だまされる事なかれ、だます事なかれ))さらには、このような身分の私が広大な土地を買おうと現実的に思っているのである。借金・ローン、一切なしの一括現金払いで!(それだけ安い、ということです。または、それだけ別の仕事(土地に向かった生きるための仕事)の仕方をして来た、またその土地に対してしてそういう仕事をしていこうという決意である。)これもまた、表現を変えて書けば、「つ・い・に 手に入れた、夢のマイホーム!」である。(しかし、違うレイヤーの世界では「お勤め週5、6日、残業つき、30年ローン」もついてくるであろう。)

 

そう、まさにぼくは天から降って来た宝くじ一頭賞をキャッチしたかのような、ラッキーな人間である。しかし、これは確信犯である。まったくの確信犯である。まったくの確信犯で、ぼくは、いまぼくが居る場所に、意・識・的 にいるのである。意識的にとは、ある時、今までいた大きなレイヤーを勇気を持ってまたいで、新たなレイヤーを探って来たのである。そうしながら、アンテナを張ってここで生きて行くための情報を集め、ここで生きて行くための能力を培い、そうして育てているのである。(ここでいう能力とはお金を稼ぐ能力ではなく、生きる能力(または柔軟さ)だと思っている。)

 

 

 

とは言え、やっぱり現実的なところ

 

A1:我が暮らしは、現実逃避をしたナマケモノの暮らしではないか?

 

いやいや、

 

B1:彼等が暮らしは、誠実な暮らしと言ってよいのだろうか?

 

 

ならば、

 

A2:「怠け」とは、何をしないことにたいしての「怠け」であろうか。

 

B2:「誠実さ」とは、何に対しての「誠実さ」であろうか。

 

 

上記のAとBの言葉のセットは、異なる2つのレイヤーでの価値観から出た言葉の投げ合いである。

または、緑の色眼鏡と赤の色眼鏡をかけた者同士が、それぞれの見える世界を語ったものである。

それぞれが真実を言っているのである、ま・っ・た・く の真実を。

 

緑の眼鏡をかけた人が「これが緑だ」と言うのに、赤の眼鏡をかけた人が「いやいや、これは赤だ」と言っているのである。

眼鏡をとって話してみる必要がある。

 

また、水平線状に伸びて行くレイヤーの価値観で、異なるレイヤーの価値観を計ってみても、以前、平行状態であり、交わることはない。

水平に伸びる尺度から、縦の尺度で話してみるといいと思う。

 

 

さてさて、

私がここに記したことは、ま・っ・た・く の自分自身が居るレイヤーからの価値観の言葉である。

 

つまりは、ま・っ・た・く の真実であり、それと同時に、ま・っ・た・く のたわごとである。

 

 

それ故に、

 

これはジョークである。

 

ま・っ・た・く のジョークである。

 

これは、思考が思考を巡らしただけの、真実から逆走していくばっかりの、た・だ・の 言葉である 。。。

 

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