ぼくの旅路:その1

-TABIの記憶を綴ります−

 

 

 それは、ちょうど神戸から出発したバスが淡路島からの橋を渡り、四国に入ろうとしているところだった。ぼくの意識はどっぷりとパソコンの画面のその奥の奥に浸かっていた。その平面の奥ゆかさに意識が漂う場所へ、それはまるで、海の底に射し込む光りのごとくパソコンの画面にキラキラと反射する光りが射し込んできたものだから、ぼくはその光りに誘われ、意識の海を垂直にゆったりと駆け上がり、プァーっと水面に顔を出して大きく深呼吸するかのごとくに画面から目線を切り離し、顔を持ち上げ、窓の外に広がる光りに目をやった。そこは、大きく、大きく、碧く光る海だった。もしかしたら、ぼくの意識はあちらの深さに随分と潜りすぎていたのかもしれない。というのも、目線から数秒遅れて海のたゆやかさへの認識が生まれたのだったから。そう、その狭間をありありと感じたのだったから。その数秒間の意識が介在しなかった静謐な空間、ぼくは、海の碧さで在り、その深さで在った。意識は体を見つけ、体と意識の一致がもたらされた。そして、「わたし」としての輪郭が立ち上がり、そう、この瞬間にぼくたちは「個」と「対象」に別れたのだ、その対象を認識する個の輪郭は、海のたゆやかさへの感覚で満たされていった。そして、その満たされた感覚を調整するかのように、ふかく、ふかく、はぁー、と吐息がもたらされた。そして、しばしの呼吸の狭間が生まれ(この狭間は、ぼくが海の碧さであり、深さであったあの空間と一緒のものであろうか)、ふたたび、大きく息が吸い込まれた。認識とともに吸い込まれた息によって、ふたたび、この世界とのつながりが結ばれた。

 

2017.9.18

ことし18番目の台風が駆け抜け

突き抜ける青空の下

一筋に南下するバスの車上にて