小さな頃に一時をすごした、長野の小さな村の、小さな小学校。

秋になると『キノコ狩り遠足』という、大好きな行事がありました。

 

1年生のおチビたちから、6年生のお兄さん、お姉さんまで、そして先生たち。

落ち葉を踏みしめ、キノコを探して、山を歩くのです。

 

待ち遠しくてたまらぬ、お昼ご飯。

木漏れ日射し込む森の中、焚き火の香りが空高く昇っていく。

その日の収穫が詰め込まれた、飯ごうと、鍋からは、キノコの香りが立ち昇る。

その香りに効果音をつけるかのごとく、みなのお腹が「ぐぅー」となる。

たまらぬ期待が、飯ごうと鍋に詰め込まれていく。

 

小さき頃の良き思い出。

 

あの時、ぼくは必死に松茸を探していたな、そういえば。

「おい、一本、一万円だぞ!」とお友だちと、一攫千金を夢見て!

それは、ツチノコのごとくに、叶わぬ夢でした。

 

 

あれから、30年の月日が経ち、なんと、忘れていた夢叶いました。

台風一過の晴れ渡った空の下、山の中には、赤白黄色、◯△◇、さまざまなキノコが、落ち葉の中から、むくむくと頭突き出し、傘を広げていました。

その中に、とっても香りのよいものを発見。

「お、もしかしたら、これは以前に棟梁に食べさせてもらったやつかもしれない」と、ポケットに入れ、下山後、棟梁に見せに行くと、「間違いない、これは馬鹿松茸じゃわい」と。

「へー」と、思い掛けずも小さき頃の夢が叶ったことを知り、「やった!」と小さくガッツポーズ。

いや、正確には、小さな頃に血眼に探していた松茸ではなくて、馬鹿な松茸を見つけたわけです、が。

しかし、棟梁が「これは、松茸よりも希少価値があるもんだぞ」とひと言、美味しい情報を最後に一振りしてくれたので、

ぼくは、もうひとつ、小さくガッツポーズ。

 

 

家に帰り、さっそく炭に火をつけ、調理の準備。

七輪に入れた炭に火が回るのを待つ間に、畑に間引き菜を収穫に。

 

炭にあぶされ、松茸の香り立ち上る。

あの頃と変わらず、「ぐぅー」と鳴るお腹。

 

さあ、できた。

い・た・だ・き・ま・す。

 

食卓に並んだ、裏山の幸に、目前の畑の収穫、隣山の銀杏のお裾分け。

土地の恵みに生きることの、充足感に満たされる。

この感覚、すばらしき滋養。

 

ああ、暮らし、愉し、

秋のひかりに照らされて。

 

 

DSC09825

DSC09831
DSC09836