ぼくの旅路:その

番外編

【エゴを見つめる・ネイティブアメリカンの教え】

当時のわたし:26歳

 

「ぼくがこれから踊るサンダンスに、君たちも一緒にきてほしい。ぼくが踊るサポートをして欲しいんだ。」

 グラスホッパーの口からこの言葉を聞いたとき、正直なところ「え、サポート? 踊りのサポートをするってどういうことだろ? 何も知らないぼくたちが役に立てることなんてあるのだろうか?」といった気持ちだった。サポートの意味がぜんぜんわからなかったのである。しかし、その反面、ずっと憧れていたサンダンスの儀式をこの目にすることができるチャンスがやってきたことに、大きな喜びを感じていた。(俗な言葉に変えてわかりやすくいうと、「ミーハーな気持ちが一杯」、または「また一つ、語ることができる武勇伝(自慢話)の勲章を手にいれることができる」といった気持ちも多々あったことだろう。あれからもう随分と時間が経ち、それなりに歳も重ねた今となっては、青年期の学びの過程であった当時の自分の心情を、恥ずかしげもなく、できるだけさらけだして客観的に書こうという気持ちです。表層意識下のそのスペースに漂っている自分自身との対話の変化を綴っていきたいです。)

 ぼくたちは、これから幕が開けていくこのサンダンスの物語から、グラスホッパーが言葉にした「他者をサポートする」という真の意味を、魂のレベルで学んでいくのだった。そして、その学びの過程には「エゴを見つめる」という痛烈なレッスンが、含まれていたのである。

 サンダンスが行われる会場へは、車で一日がかりの旅であった。グラスホッパーと、リック、そしてぼくたち日本人を乗せた車は、ぼくたちがこの夏のサウスダコタ滞在のベースにさせてもらっていたリックの家を朝に出発した。リックは、ネイティブの人たちといろいろと関わりをもって、この街でひとりで暮らすミドルエージの白髪を後ろに束ねた白人の男性だ。自分の家をみんなに解放し、そしてぼくたち日本からの若い旅人を本当によく助けてくれた。ぼくたちにとって、そのちょっとぽっちゃりした容姿と相まって、やさしい親戚のおじさんのような存在だった。その後、突然の彼の引っ越しを手伝ったり、彼のプライベートの問題をぼくたちに打ち明けて相談してくれたりと、二ヶ月も一緒に苦楽を共にして過ごした後には、本当の家族のような気持ちだった。

 車は、郊外へ、郊外へと向かってひた走り、やがて窓の向こうに流れる景色は一変の変化の兆しもないような見渡す限りの広大な平野の中を突き進んでいった。途中、荒野の中に蜃気楼のようにたち現れるガソリンスタンドで給油を幾度か重ね(オンボロ車体の大きなアメ車だったから、燃費が悪かったのだろう)、そして夕刻に(といっても、サウスダコタの夏は随分と日が長かったので、それが日本で言う時計上の夕方の時間の感覚とは随分と違ったのではないだろうか)、サンダンス・チーフの家に到着した。グラスホッパーから「セレモニーがはじまるまで、まだ数日あるから、チーフの家にお世話になりながら、チーフの手伝いや、会場の準備などするぞ」と聞いていた。そして「会場はまだ何もない草原だけど、そこに、一つ一つ、ティピを建てたり、スエットロッジを建てたり、メインサークルを作ったりと、いろいろな作業をしながら、場所ができあがっていく様子を見るのは圧巻だよ。そして、それぞれの要素の意味を学びとっていく、よいチャンスだ」とも。ぼくのこころに、風が吹いた。彼の言葉のひとしずくに、こころに広がる景色の波紋。そう、その風は、草原のサンダンスの景色から吹き抜けてきた風だ。遮るものは何もなく、なびく草たちが遥か遠くに吹く風の通り道を教えてくれている。その広大な草原のキャンバスに、これからどんな景色が描かれていくのだろうか。ぼくは、またしても、グラスホッパーの言葉にこころ踊らされるのを知るのだった。そのひとしずくに、こころに泉が湧き上る。彼は人を鼓舞するのに長けている人だ。いや、彼自身が常に希望と純粋さに満ちた人であり、その思いの周波数に触れるならば、こちらも自然と共鳴してしまうのだろう。

 さて、『ネィティブ・インディアンのチーフの家』と聞くと、思わずいろいろと想像が膨らみ、興味がそそられてしまう(外国人が今の日本に侍を想像するようなものだろう)のだが、実際に着いてみると、その家は、(やっぱり)よくみる郊外のアメリカ式の一棟だった。まあ、こういった、いままでに本や映画から見聞きして勝手にコラージュして創り上げた自分の中でのネイティブのヒーロー像と、現地で実際に目にした現実の姿のギャップへの戸惑いは、この一ヶ月のサウスダコタ滞在でだいぶ馴れたものだ。今では、ぼくのヒーロー像は随分とヒビだらけなのである。しかし、しかし、である。このような現代社会への適合という境遇の中にありながらも、いまだ彼らのスピリットの奥には決して消えることのない大いなる叡智が灯り、時として、強烈に、眩いばかりの光りを解き放つ。そんな場面を、幾度と目にしたのも事実だ。(そうなのである、その光りは、おとぎ話や映画の中だけで触れることのできる過去の遺産ではない。いまここにも生身の彼らのスピリットの中に、保たれ続けているのである!)。その燦々と輝く光りに、ぼくは魂のレベルで惹付けられている。何か確かなもの、揺るぎないものとのつながりが、その光りの経路の先にある。

 チーフの名前はハリーと言った。とてもにこやかな、おじいちゃんだ。おじいちゃんといっても、魂の強さをずしりと感じさせてくれる、貫禄の佇まい。しかし、威圧感は全くなく、包み込むようなあたたかさに充ちている。そう、大きな家族の長といった言葉がまさにふさわしいエルダー(長老)だ。ジョークが大好きで、周りの人たちをいつも笑わせ、リラックスさせてくれる。招き入れてくれた家にも、そんな空気が充満していた。どうやら、この家は、家族や他の親しいいろいろな人たちがたくさん出入りする、いつも玄関口のドアが開かれているようなオープンな家で、そんな人たちが気兼ねなくリラックスしてこの場所にいる様子からも、この家の長の彼の人柄が伺える。

 この家で過ごした時間の中で、いまでも思い返すとクスッと笑ってしまうような大好きな一場面がある。それは、ある日の夕食後のことだった。ぼくたちはリビングのソファに座って、ハリーとお話をしていた。彼は、日本のことや、ここまでのぼくたちの旅のいきさつを熱心に聞いてくれていたのである。そしたら、電話のベルが鳴ったものだから、ハリーは話を中断して受話器を取ると、一拍おいて、「あぁ、ジェーンだね!」と、電話口の相手に答えた。そして、続けざまに、テンポよく、「あぁ、まさに今ちょうど、きみは元気かな、とみんなで話していたところだよ。どうだい、調子は?」と相手に告げるのだった。受話器の向こうでは「あらまぁ、それは嬉しいわ!」と喜んでいる様子。そんなやり取りに、ぼくたちはおもわず、「おいおい、ぜんぜん彼女の話なんてしていないし!」とツッコミをいれたくなり、苦笑する。そしたら、不思議なことに、その苦笑の余韻が受話器のさきまで伸びていき、電話口の向こうの彼女のいる空間にまで広がって、あちらとこちらの空間がひとつになって、みんなでより大きな家族になって、この団らんのひと時を一緒に過ごす感覚が広がったのだ。そんなハリーのひとつひとつのジョークのあとには、いつだって、ここちよい揺らぎが空間に漂うのだった。みんなを包み込む、あたたかな揺らぎ。