・ 日課 ・

今朝になると、布袋葵の花が、もう一つ咲ていた。

昨日咲いた花は、枯れていた。

自然、はたまた、宇宙の法則を学ぶのに、植物は素晴らしい先生だと思う。

咲いた花に、喜び

枯れた花に、悲しみ

また、花咲き

また、喜ぶ

ただ、その繰り返しと知ること


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「もう、野菜は食べきれないぐらい育てられるようになったから、今季はお花をたくさん植えようかな。お花は、こころの栄養だからね」

とは、春の種まきの計画時に呟いた一言である。秋冬野菜の豊作に自信をつけてのことだった。

しかし、春夏の畑は、見事に、うまくいかなかった。期待外れの結果になってしまったということは、そこに何か、ぼくの行為と自然の摂理との間に矛盾点が生じているということだ。結果から、その擦り合わせをしていくための方法を、考え出していくのが、人間の脳の秀でた点である。さあ、何が解決策としてできようか。

しかし、

今朝の、枯れゆく、咲きゆく、布袋葵の花を見た時、

こころの、哀しみ、喜び、のさざ波の中に、

いや、待てよ、

「さあ、わたしが、何ができようか」という、考え、態度事態が矛盾点かもしれない、

そんなことを、

菩薩様の光のような模様をつけた、布袋葵の花を見て思った。

どうしたことか。

今まで、旅や、巡業などをして、外に行って、日常と異なる環境下での新しい刺激を、自分が成長するための養分としてきた。しかし、この春から、世界は一変してしまった。自粛生活を強いられ、日々を過ごしていく中で、「成長=新しい環境」の思考を変えねばならぬ、と徐々に痛感していく。

「いまの環境下で、自分を成長させるためには?」

日常で、特定の場所にとどまり、自分自身の思考・行動を定点観測してきた結果、数ある答えが生まれたが

「毎日やる!」

これが、いちばん効果のあることだ、と選び、決心した。

つまりは「日課」である。

毎日やって、行為の筋肉をつけていく。

体も脳みそも、使わなきゃ衰える、使えば発達する。

行為の反復で、脳神経伝達系のネットワークシステムを、恒常化し、向上化させていく。

というわけで、突如、再開されたこのBlogだが、「毎日書こう!」と決めて、毎日書いている。そのモチベーションは、今後の自分のやりたいことに繋げていくために、文章を書く筋肉をつけたいから。さらに、思考を文字にして他者に伝えられる形にするまでの作業により、頭の中が整理されるから。頭が整理されれば、気持ちも、暮らしも、整理される。というわけで、全くに自分本位に記事を書いている訳だが、Blogというフォーマットでは、他者が読むという可能性も秘めていて、そのことも利用したい。ひとに伝えるためには、より思考がブラッシュアップされなくてはいけない。その過程で、自分だけの気付きのレベルから、学びは増幅&定着化される。

たったの、この一週間だが、毎日書いているおかげで、思考スピードも随分と速くなってきた。ブログの投稿に要する時間が短縮されていっている。書きたいことも、率直に書けるようなってきた。

今朝は、睡蓮に蕾がついているのも、見つけた。

睡蓮の花に憧れ、いままで、何回か育てたことがあるけれど、花が咲くまでには至ったことがなかったので、とても嬉しい(まだ、咲いていないけど、ドキドキ)。

毎日、メダカを覗き込みたくて、歩み寄り、声を掛けていたからかも知れない。

「お花はこころの栄養」と言ったけど、お花も、ぼくのこころの栄養をもらっているのかも知れない。

畑も、ぼくのこころの栄養が必要か。

睡蓮やメダカと同じく、毎日、声を掛けてみようか。

「日課」である。

「日課=愛」である。

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(夏も盛りだが、立秋も過ぎ、気持ちは、秋冬野菜の準備である。失敗から学ぼう。畑は、先手先手の準備が大事と、学びました。ボカシを仕込む。)

追記

『そんなことを、菩薩様の光のような模様をつけた、布袋葵の花を見て思った。どうしたことか。』

と文章中に記述したが、この「どうしたことか」の部分で、「あー、閃いた!」と気付き、今日はこれをBlogの記事にしようと、勢いよくノートパソコンを開いたのだが、時系列に書いているうちに、すっかりそこの部分のつながりが吹っ飛んでしまった。そのことが、書けずに、モヤモヤ。

【ノートをとる、紙とペンで!】

これも日課に加えよう。

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(と思ったので、早速、ノートをとる。思考と行動の反射神経の筋肉ついてきだぞ!)

今までだったら、そのつながりの部分を取り戻すべく、そのモヤモヤを解消すべく、文章を捏ねたり、時間とエネルギーを随分と費やして、納得いくまでやっていたのだが、いまは、「まあ、いいや。えいっ、」と投稿である。「日課」を守ることを優先したいから。一つのことに、やりすぎて、他の日課に影響を与えないように。

【何事も、腹七分、やりすぎない、食べ過ぎない】

(友人宅に「腹六分」とメモ書きが貼られていたのを見ての、影響を受けての言葉である。ぼくも、「六分」としたいところだが、やりすぎたところから始めないように、「七分」とした。)

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