朝3時

目が覚める

 昨晩は、21時に寝たので、6時間の睡眠だ、バッチリだ。ぼくには、6時間睡眠がちょうどよい。目が覚める前の夢を見ている感じで、睡眠ゲージがマックスに溜まったかどうかが分かる。夢の内容がなんだかダラダラとなってきていたら、睡眠ゲージがマックスを超えていて、睡眠時間の有用性がダラダラと漏れてきてしまっている状態だ。夢を見ながら、そのことを自覚して、起きる。6時間睡眠は、一般的には少し短い睡眠時間かもしれない。しかし、ぼくは、日中に朝と晩の1時間づつ、合計2時間瞑想しているので、24時間のうちで目を瞑っている時間は、8時間となる。瞑想時間も休息時間として含めて考えていて、その通りに、心身とも充分に休めていると、実感している。1時間半と言われる、脳波の睡眠サイクルで考えても、6時間睡眠はちょうどよい。目覚まし時計は、特別な用事が朝からある日以外は、使わないことにしている。この睡眠サイクルとタイミングがずれて強制的に起こされると、朝一番からなんだか歯車がずれて、日中ボーッとしてしまうから。規則的に生活していれば、起きる時間も、自然と整ってくる。規則的とは、ぼくのルールの中で、起床、就寝時間の前後30分のズレは、OKとしている。あと、前日の食事の量とタイミングが、睡眠の質と、寝起きの良し悪しに、決定的に関係しているのも、経験から、確かだ。

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 今日は、日曜日なので、朝のYOGAは一週間に一度のお休みだ。この時間を使って、週一の大掃除の時間にしようと思いながら、昨晩は床についた。しかし、今日はいつもより1時間も早く起きたばっかりに、瞑想が終わった4時過ぎには、まだ、辺りは一向に暗く、晴れやかにパーっと掃除する気持ちだったから、なんだか、暗がりの中、電気をつけて掃除する気になれず、しばし、考える。「これは、ご褒美の時間だ、朝4時から、全くに空白の時間ができた!」。「じゃあ、やりたいと思いながらも、なかなか、やれていなかったことをやろうか」と、こころ決め、パソコンを開き、noteの新しい連載ページに取り掛かる。

 

 ということで、

本日の夜明けより、noteにて、新連載「ぼくの旅路」がはじまりました。みてね!

 ということで、

今日も、ぼくの長年の願望が、また一つ叶った。

 「いままでの旅を綴りたい」という願望だ。正確には、願望の達成が「始まった」と言った方がよいだろうか。しかし、長年呟いてきた自分の言葉を見直してみても、「綴りたい」という進行形なのだから、願望の中に飛び込めた、ということだろう。流れに飛び込んだ後は、また、別の新たなストーリーだ。言葉とは、実にトリッキーなものである。いつの頃からか、「いままでの旅を綴りたい」という願望から、「いままでの旅を綴り、本にしたい」とさらなる欲が潜り込んできていて、目標設定の高みがもう一つ増えてしまっていた。「本にしたい」の部分の目標設定が、高すぎて、それを見上げただけで、尻込みしてしまい、結局一歩も踏み出せていなかったのが現状だ。なので、「本にしたい」の部分を取り払って、もう一度「いままでの旅を綴りたい」と本質に戻ったところ、気軽な気持ちとなり、始めの一歩を踏み出せる、立ち位置に戻ってきた。そうすると、「じゃあ、どうやって?」と、実質的な策略に対する質問が立ち上がって来る。「いま、やる。とにかく、始める!」という指針をかざし、現状で自分が手の届く範囲の環境を見廻した結果、「noteをはじめてみよう」というところに辿り着いた。そして、朝4時の夜明けの勢いを授かり、ついに、始まった。

 棚に積もっていたホコリの拭き掃除をしたいと計画していた、週一の大掃除だが、新連載に時間を使い、達成されなかった。けど、「積もったものを、払い、スッキリする」という目的は、メンタルの面で、長年の願望の成就により達成されたので、オッケー、である。これ以上ないぐらいに、バッチリでしょ!

 朝6時半

畑仕事の日課に戻り、さあ、本日の日課もスタート。畑の草刈りは、昨日までで済んでいたので、裏山と、母屋と山肌の間の草刈りへ。宅地を作るために削られた山肌と、母屋の北面の距離は1mほど。シダや苔などの植物たちが、垂直の岩肌に壁面緑化を施してくれていて、なかなかに風情がある。しかし、それが意味するところは、湿気がたまる環境ということだ。実際に、何年も空き家になっていたこの家は、北側の床下が腐っていて、大引から折れて、床が落ちてしまっていた。一番に状態が酷かった部屋は、そこに足を踏み入れるのも、拒まれるほどだった。ここに越して来て時から、「どうにかしなきゃな」、とは思ってはいたが、既存の床の上に、コンパネの板を引いたりして、とりあえずの応急処置でごまかしていた。しかし、この春、友人の引越しに伴いグランドピアノを引き取るということとなり、しかも引越しの都合上の工期の締め切りつきの、条件が舞い降りてきた。締め切りとは、実にありがたい存在である。頭の中のアイデアだけのものを、強制的に、実行に移させる力がある。この締め切りと、「ピアノをこの家に迎え入れる」という、こころときめくモチベーションが揃い、一大工事がついに始まった。【実行】という実を結ぶためには、【環境・条件】と土壌と、【モチベーション・動機】という水やりが必要であることを、学んでいる。やり出してみると、自分の技量にはなかなかに随分な工事であり、途中で何度も諦めたく(いつもの自分の癖で言えば、「後延ばしという名の、やりかけ状態で放置」という表現か)もなったが、締め切りに尻叩かれ、完成までに至った。ピアノの存在のおかげで、ついに、家で一番のどんよりスポットが、床下から改善され、この家の風通しは格段によくなった。自分の第二の皮膚である家が改善され、呼吸し始めたことを感じると、その結果として、ぼくの体内の新陳代謝も活性化され、それはメンタル面でも、長年のつっかえが流れ出して行っている。これまで、溜め込んできたいろいろなアイデアが、実行のレベルに排出され始めている。そういえば、この数ヶ月、排便も実に規則的で、調子が良い!

う〜ん ♡

 話は、ウンと逸れたが、湿気の問題で、家と裏山の間の草刈りは、重要である。深い湿潤な植物たちの様子をまな出たい気持ちもやまやまだが、しょうがない。草刈り後、たくさんの剪定枝や刈り草が溜まった。この後処理も一苦労の仕事であり、「後延ばしにしようかなー」といつものマインドが働き出していたところで、「そうだ、新しく作った畝の通路に敷き詰めたら、よいな」と思いついた。【実行】のための【モチベーション】の発動である。納屋の裏側の小狭い空き地は、暮らしの動線から離れていることもあり、半分見放されているような状態だった。その結果として、というか、ぼくがここへ越してきた時からすでにそうであったのだが、そこの土壌が粘土っぽい痩せた土地であることもあり、イガイガしい、いかにもハードボイルな雑草や、葛の締め付けが蔓延る、一大無法地帯となっていた。しかし、この春、ついに、ここに鍬を入れることができた。取りあえず畝を作っては見たが、予想通りに、小石まみれの粘土質の土である。なので、本で読んで知っていた、開墾後に一番はじめに植えるのによいとされる、エゴマをそこで育てることにした。エゴマが開墾に向いている理由は、アレロパシーが強いからということだ【アレロパシー:植物が化学物質を生産・排出し,周囲の植物に多くは有害な作用を及ぼすこと。他感作用。遠隔作用・辞書より参照】。雑草は刈り取られ、エゴマは逞しく育ち、随分と改善はされてきたが、貧欲な土壌がむき出しの形相が、まだ結界を張っていた。しかし、今朝の草刈りで溜まった、剪定枝に、刈り草を敷き詰めたところ、どうだろう、なかなか気持ちのよい雰囲気だ。厄介な行為やものたちを、喜びに変換できる瞬間は、暮らしの最も喜ばしい瞬間だ。

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9時

川へ、水浴び。

 潜水しながら川底を泳ぎ、新しい世界を見る時間。今日はいつもより深く潜れたのか、今まで見たことがなかった、びっくりな大きさの黒い魚がいた。「これがブラックバスというやつなのかな?」。水中でもだいぶリラックスできるようになってきて、水と親しくなって来た気分。フィンのひと蹴りごとの水の抵抗をいつになく感じ、体をしならせながら、水中を進んでいると、水に抱かれることの幸福感に包まれた。「そういう言えば、十年前に思い描いていた夢は、綺麗な、大きな量の水の近くに住むことだったな」と思い出す。いままでも、一歩一歩、願望を叶えてきていたんだな。夏の午前の光が差し込む水面下、石と岩、きらめく幾数もの光の柱の間を、魚たちがすり抜けていく。この世界から過去を振り返ってみれば、「水とは意識していたけど、この水面下の世界までは繋がっていなかった」と気づく。

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10時

 家に戻ってくると、今日は睡蓮の白い花が二つ咲いていた。観察しているところに、一つは昨日と同じ花である。布袋葵の花のように、一日咲いて終わりという、儚い出会いではなさそうだ。台所を片して、コーヒーを淹れたり、雑用をしばしした後に、また睡蓮を覗きに行ったら、一つの花はもう閉じていた。どうやら、睡蓮花は、「おはよう」と言って、しばしの日光浴をした後は、「また、明日」らしい。

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では、また明日。