* 無重力 *

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 朝の一仕事を終え、川へ。昨日は、朝の川泳ぎの日課を他の用事でしなかった。一日のお休みを挟んでの川。潜って、泳いでいると、「あ、やっぱりこの時間は大切だ」と実感する。感覚の開き方、幸福感が全くに違う。この時間のおかげで、この後の一日の気持ちが全然変わってくるのだ。幸せな気持ちで一日を過ごし、色々なものをつくり出したい。

 昨日泳いでいなかった分、今日は張り切って、対岸の支流まで泳いでいった。水中を進んでいくと、ある場所から、水温が急に下がる場所がある。それは、だんだんとグラデーションをしながら温度が変わっていくのではなく、塊として、存在している。本流の生温い塊、支流からの冷たい塊。水は、川という総体の中で、塊として動いている。そのうちに、水面下の視界も一段と透明になってきた、ここでは、水の質が明らかに違う、重さも変化し、軽い感じがする。

 対岸にたどり着き、一度フィンを外して、陸に上がり、河原の石や岩の上を渡って歩く。河原の石たちも、まだ9時過ぎのこの時間なら、裸足で歩くのにも、焼けるような熱さには達していない。支流は、泳ぐほどには、なかなかに深さがないのだが、一箇所だけ、深くえぐりこまれ、プールになった部分がある。フィンをつけ、再び飛び込みむ。まず、その水の冷たさにびっくりする。すぐ下の本流と比べ、圧倒的に冷たい。この流れの先にある、山の冷たさか。そして、この透明度。川底の石、岩たちが、よりくっきりと鮮明である。より立体的である。無数の大小の魚たちが透明な水の世界の宙を舞っている。暗闇に蛍のひかりを見るかのような、魚たちの3次元の動きは、こちらの意識状態を解放していく。陵の上、3次元に生きるぼくらだが、身体的能力として、二次元の平面の動きに制限されている。しかし、この水中では、水平方向だけならぬ、上へ、下へと、垂直方向にも動けるのだ。この無重力に差し迫る感覚。地上において、常に、重力の制限を受けている意識を、解放へと導く。

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 水の中の世界を絵に描きたいな、という衝動が起った。「はっ!」と、こころが鼓動を打った瞬間、そこに金が眠っている。さらに、「何かをつくりたい」という気持ちが続く、その脈略の先には、より金を見つける可能性が高い。ここに場所を定め、金を掘り当てるのだ。

 絵を描くために、写真を撮りたい、と思った。そういえば、水中用のデジタルカメラを持っていたことを、思い出す。10年前、トレッキングに明け暮れたニュージーランドの夏。旅の記録係に連れだったのは、RICOH・GR2だ。数ヶ月にも及ぶ、野外生活。そこに待ち受けていた、雨風砂埃、バックパックの衝撃。そして、朽ち果てたGR2。後継者に選ばれたのは、防塵防水仕様の無骨なCANONのコンパクトカメラだ。確か、それが、引き出しに眠っていたような。

家に帰ってくる、10時手前。

記憶されている引き出しを開ける。カメラなし。

天秤にかけられた、もう一つの記憶。

今年始めの断捨離時に、そのカメラを手放した記憶。

どうやら、こちらに、軍配が上がったようだ・・・。

あぁ、金よ・・・

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水中に想いを馳せながら、水面を描くことは出来ようか。