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4/12 Fri.
晴
昨日の午後に畑をせっせとやったからだろうか、よく寝れた。肉体的疲労と、土のアーシング効果で体が緩んだのだと思う。昨晩のお風呂もいつになく、染み入った。だんだんとここの土地での営みの調子が出てきた様子、いい感じ。
今朝に畑に行ってみると、先週蒔いた種が発芽していた。双葉の顔をひょっこりのぞかせるその様子は、とても愛らしい。その様子に、喜びをもらえる。
畑をやっていて「いいなぁ」と思うのは、日々の変化を目の当たりできること。今朝のように、昨日まで何もなかった畝に、新しい芽がでたという変化に喜びをもらえる。それは、植物が命だからということもあるかもしれない。それは、あたらしい命の出生の喜びかもしれない。そう思うと、春がこんなにごきげんなのは、あちらこちらで新しい植物たちの命の息吹に溢れているからだろうか。鳥たちの鳴き声も初々しい。
しかし、また、同じ発芽でも、いわゆる雑草の発芽には喜ばない自分がいる。畝にそんな新芽を見つけたら、即刻に抜いてしまう。そう思うと、巻いた種の発芽の喜びには、期待していたことが、期待通りに叶った喜びでもあるのかもしれない。そう思うと、畑とは、自分の在り方、有り様がそのまま現れているようだ。今後の展望としては、望まれた種子たちがある程度大きく逞しくなったら、この土地に沸き起こる雑草も呼び入れ調和を図っていきたい。
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あ、そうだ、そうだ、雑草どころではなく、畑で『喜べない輩』と言えば、もぐらである。もぐらのトンネルが畑のそこらじゅうに貫通して、地下要塞都市が形成されている。先日まではあんなに野菜がぴんぴんと元気だったのに、急にパタリと萎れてしまうのは、もぐらがその野菜の根の下を通過したからでだ。もぐらが空けた穴で、野菜の根が地中で宙ぶらりんになってしまったのだ。何かに対してムカつくことは随分となくなった自分だが、モグラ殿の暴君には腹を立てている。もう、好き勝手にもほどがある。そんな調子に、自然農崇拝の自分としてはなるべく畝を耕したくないのだが、もぐらの地下要塞都市の穴ぼこだらけの上に種子を蒔いてもどうにもならないので、半年に一回の種まきの時に畝を耕すようになった。まあ、またすぐにトンネルが開通してしまうのだけど。
しかし、考えてみれば、もぐら殿だけでなくて、芋虫、カメムシ、アブラムシ、などなど、虫さんたちもずいぶんと好き勝手にやっているよなぁ。それを思うと、もぐら殿だけに対してこんなに不服を申し立てているのは、虫よりも擬人化して感情をぶつけやすいからかしら。
そんなこんなの、さまざなな命との押し問答も、畑の醍醐味か。