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みちのおくの芸術祭
山形ビエンナーレ2020
[ 山のかたち、いのちの形 ]
9.5 sat.- 9.27 sun.
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WEBにて開催される、
山形ビエンナーレ2020に、
作品参加させていただきます。
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『作品:ー暮らしー』
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=エピローグ=
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20代の頃は、ひたすらに、世界を旅をする日々でした。
旅の日々、様々な文化の人々の「暮らし」と、出会いました。
ぼくにとって、自然と調和して生きるその姿は、とても「美しい」ものでした。
そして、ある時から、自身の内に、ある強い気持ちが芽生えてきていることに、気づくようになったのです。
それは、自分も自らの手で「暮らし」を創っていきたい、という願いでした。
それは同時に、「旅の日々にもうすでに満足した」ことを自覚した、瞬間でもありました。
その思いは、生まれ育った故郷へと、再び、ぼくを連れ戻してくれたのです。
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日本に帰ってきて、巡り会った、四万十の地。
ここに暮らし始めてから、7年の歳月が過ぎました。
都会育ちのぼくが、農的な暮らしに憧れ、はじめたこの暮らし。
なかなかに、はじめてのことだらけで、思うようにいかないことばかりです。
よい意味で、四苦八苦しながら、手と頭を目一杯使って暮らす毎日です。
日々の「暮らし」とは、まさに、つくること、表現することの、連続です。
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日々の暮らしを、我が総合芸術とし、日記を綴り表現していきたいと思います。
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=はじめに:わたしの嘆き=
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山形ビエンナーレへの参加は、一年も前からお話をいただいていました。ぼくは生来の旅好きなようで、今まで行ったことがない土地のことを考えると、とてもワクワクとします。その土地では、どんな自然に囲まれていて、人々は、どんな文化を築き、どんな食事をしているのだろうかと。見知らぬ土地・山形への思いは、膨らむばかりでした。
しかし、この春から世界は一変し、カレンダーに記されていた未来の予定が、次々と消えてなくなっていきました。そして、山形からも一報が届きました、「山形ビエンナーレは、オンライ開催に変更します」と。
ぼくは、この知らせに参加者として、とても困惑しました。というのも、当初は、ビエンナーレに参加するに当たっての表現手段として、大学での開催ということもあり、若い世代に向けて自身の旅のお話や、旅で学んだ音楽の演奏会などをやりたいと思っていたからです。しかし、オンライン開催となってしまったいま、今回の発信方法のフォーマットにこの表現を当てはめたとき、ある感覚のズレが自分の中で生まれていることに、気づかずにはいられなかったのです。それは、オンラインによる自分自身の表現価値を、なかなかに、見出せなかったのです。これが、わたしの嘆きです。随分と自問しました。しかし、おかげで、表現することに対するより深い本質に気づくことができました。それは、「お話会」や「音楽会」などは、あくまで表現の手段であり、自分の本当の表現への目的は、「人びとが集い、共感し合える場を創りたい」ことなのだと。つまりは、「人々が共感し合える瞬間に、立ち会えること」が、ぼくの表現の喜びなのです。オンラインでこの瞬間を分かち合うことができるのだろうか…
改めて、考え直してみました。いま、この状況で、自分自身が、こころからの喜びとともに、伝えられることはなんだろうと。しかし、答えは見つかりません。では、いま、ここで、自分自身が、いちばんに情熱を注ぎ、喜びを得られていることはなんだろう、と考えてみました。その問いには、すぐに答えが見つかったのです。それは、「暮らし」でした。「暮らし」が、ぼくにとっての最大の喜びの表現だったのです。そうか、オンライン開催ということで、いつもの「暮らし」の場から表現できるのだから、この「暮らし」をそのまま参加作品としてしまえばいいのではないか、というのが今回の作品の経緯です。
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=『全体性』=
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「暮らし」を作品にしようと思った経緯には、「全体性を取り戻す芸術祭」という、総合芸術監督の医師・稲葉俊朗先生の言葉の後押しも大きいです。
ひとことに「暮らし」と言っても、それは、様々なエッセンスを内包した大風呂敷のようなものであり、どれか一つを指して「暮らし」と言えるものではありません。自分のいまの暮らしを改めて見直してみても、畑、料理、掃除、大工、薪割り、山仕事、数限りない行為が、そこに含まれています。そして、そんな日常の中にあって、音楽を奏でたり、文章を書いたり、絵を描いたり、衣や靴など身の回りの必要なものを作ったりして、さらなる喜びの表現も日常の行為としています。これらすべてをひっくるめて、「暮らし」を営んでいるわけです。つまりは、「暮らし」が、ぼくにとっての総合芸術なのです。
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=旅の経験より=
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「全体性」という言葉から、さらにもう一つ、大きな気づきを得られました。
それは、過去の旅の経験においてのことです。
ぼくが、どうしてこんなにも、「暮らし、暮らし」と心酔しているのかと思うと、それはやはり、自分が今まで旅をして出会った、人々の「暮らし」に、心底「美しい」と思い、こころ震えた瞬間があったからです。旅をしながら、芸術、景色、それはもう数え切れないほどの美しいものや、瞬間に出会ってきたことでしょう。しかし、過去を思い返してみて、今でもこころに鮮明に残っているものは、人々の「暮らし」なのです。
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鑿(ノミ)の刃跡が残る、手で削られたであろう、木の柵の手触り
夕暮れに、馬に跨り、牛を追い、走っていく子供たち
暖炉に薪がくべられ、その日の収穫物たちが並ぶ、夕食
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こんな、暮らしの風景に憧れました。
そして、ぼくは、とてもぼんやりと「こんな暮らしを、いつか自分でも持ちたい」と、気持ちを募らせていました。それは、暮らしが生み出す「調和」というものに、こころ惹かれていたからなのだと、今となって気づいたのです。
その土地に生きる、人々・家族の調和、自然との調和、そして、母なる地球との調和。
この「全体性」からなる「調和」というものに、ぼくは、確かな安らぎのようなものを、感じていたのです。
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「外の世界に何があっても、ぼくたちの暮らしは、変わらないよ」
「この畑が、ぼくたち家族の健康保健さ」
夕暮れの畑に立ち、一日の仕事の終わりに聞いた、ある家族のお父さんの言葉を思い出します。
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=作品:ー暮らしー への想い=
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これは、ぼくの勝手な想いなのですが、ひとりひとりが自分たちの暮らしを、まるで一つの作品のように、創造していたら、それは、なんとも美しい世界だな、と思うのです。
そして、さらに欲を出して言うのならば、「調和した暮らし」であって欲しいのです。
「暮らし」を一つの「全体性」とみなしたように、この「地球」全体をも一つの作品として想像したとしたならば、そこに、植物、動物、と人間、あらゆる自然が調和した「暮らし」が一つの球体に形成された、「地球作品」を創りたいと願います。
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ぼくにとって、「暮らし」の意味するところは、自然への畏敬の念なのかもしれせん。
その気持ちが、ぼくを旅に駆り立て、世界を巡り、先住民の叡智に惹きつけられ、土地の伝統文化に魅せられてきた理由なのかもしれません。
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そして、「旅」に満たされたぼくは、
いま、「暮らし」という表現の場を与えられました。
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日々の「暮らし」を、芸術祭参加作品とし、
日記を綴っていきたいと思います。
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二〇二〇年・長月
佐々琢哉