* 暮らしの物語 *

 世界を旅をしてきて、こころがどうしようもないぐらいに、ときめいた瞬間を思い返してみる。

それは、世界のどんな場所であろうとも、その土地の、人々の暮らしに出会った瞬間だった。

大地に根を張り生きる姿に、畏敬の念と、安堵の気持ちを抱いた。

手の温もりが残る、質素な暮らしの佇まいに、こころ惹かれた。

人々の生きることへの信念が具現化された、暮らしの清貧さに、美しさを見た。

魂が震えた。

優れた芸術には、触れたもののこころに、何かを歓喜させる力があるという。

そして、圧倒的な芸術には、創造の力を、人々のこころに呼び覚ますという。

 

ぼくは、人々の暮らしの中に、圧倒的な美しさを見たのだ。

そして、我が気持ちは、自身の暮らしへの創造へと、はち切れんばかりになっていた。

 ・
今の暮らしへと導いて行ってくれた、人々の=暮らし=の物語を語ります。
 
 ・
 ・
* * * 
***
BEAUTIFUL
FAMILY  
2010
in New Zealand 
***
* * *
 
 とてもとても素敵な、おとぎ話にでも出てくるような家族にお世話になった時のことを、お話します。この家族のうわさを、初めて聞いたのは、夏の間に南島を旅してにいた時のことでした。
 ・
***
いつもは、ヒッチハイクをして旅して回っていたのだけど、1週間だけレンタカーをして、南島を回ってっいたときのこと。いつも、いろいろな人たちに車に乗せてもらっているから、今度は、自分がヒッチハイカーを見つけたら、拾って恩返しをしたいと思っていた。そしたら、町のサタデーマーケットからの帰り道の、町のはずれで、ついに、ヒッチハイクをしている女の子を発見。車を止めて、「どこまでも、行きたいの?」と話しかけると、彼女はオーストラリアの子で、町から今滞在しているファームへ、数十キロほどの道のりを行きたいとのこと。ちょうど、僕たちの行く道の途中だったから、「いいよ、一緒にいこう」って。
その子をファームまで送り届けると、そこのお父さんシロは「いま、皆で夕食を食べているところだから、君たちも中に入って一緒にご飯をたべよう」って、家の中へぼくたちを招き入れてくれた。
シロの優しくて強い輝きをもった目が、とても印象的だった。
シロの家族は、自給自足の生活を営んでいた。
シロと話していると、こういった生活を選択して実践しているのは、ただ生きていくために食べ物を得るだけでなく、精神的な日常の実践の意味の方が大きいような気がした。
 ぼくたちは、夕食をご馳走になった後も、別れを惜しみ、そのまま一泊させてもらった。
ぼくは、賢者のようなシロのお話を、もっと、もっと、聞きたかった。
***
・・
翌朝、シロは別れ際に、メモを手渡してくれた。
「もし北島に戻ることがあったら、ここの家族を訪ねていったらいいよ、きっと彼らから学ぶことがあるはずだ」。
 ・
その紙切れには、住所が書いてあった。
 ・
「彼らは電気や、電話なんかの機械を一切使わないんだ。畑は馬を使って耕して、木は斧で切って、石油や機械に頼らずに、すべて手で仕事をしている。とても質素に生きている、カソリックのファミリーだよ」。
この言葉に、たくさんの想像が膨らんだ。
こころは、トクン、トクンと、響いていた。
***
*
メールも電話もないものだから、手紙を出した。
「あなた達のお話しを、あなた達の友人から、聞きました。あなた達のように暮らすのが、ぼくの夢です。よかったら、あなた達のところで一緒に生活して、暮らしを学びたいと思っています。」
しばらく経ってから、滞在先に、ぼくの名前が宛名に記された、一通の封筒が届いた。
「もちろんです、いつでもきてください」
いつものごとくに、ヒッチハイクをして北を目指した。
日も陰り出した頃、最後の道のりで車を止めてくれたのは、赤ちゃんを乗せたお母さんの運転する車だった。
「ここのFamilyに、会いにいきたいのです」と伝えると、
車のバックミラー越しに、若いお母さんのビックスマイルが見えた。
「私たちが、そのFamilyよ!さぁ一緒に行きましょう」。
***
*

この家族が、ここへ、移ってきたのは30数年前のことらしい。教師だったお父さんとお母さんに連れられ、子供達は街から、この川のほとりの小さな土地へと、移り住んできた。街の暮らしより、自然の中での暮らしを、これからの子供達の未来の場にふさわしいと感じての、親の決断だった。こどもたちは、それを理解し、学校に行くのをやめて、自分たちで家を建て、畑を耕し始めた。いまでは、教師だったお父さんお母さんは、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんとなり、孫、ひ孫まで、家族4世代が一緒に、この土地に暮らしている。

谷の奥に開けたこの土地には、今では、家が何軒か建っている。子供達が、それぞれに独立して、新しい家族と共に、それぞれの家で暮らしている。ぼくは、シロに紹介してもらって手紙を書いたジョセフの家族にお世話になった。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの家は、馬のいるフィールドを横切ったところにある。兄弟の家は、川を渡った丘の上に。ジョセフは一番初めに移り住んできた子供たちの一人で、今では7人の子供と、3人の孫がいる。

ジョセフに初めて会ったときも、とても目が印象的だった。

シロと同じ目の輝きをしていた。

 こじんまりとした家に、家族みんなが肩を寄せ合って暮らしていた。薪ストーブの上で料理をし、夕食の後は料理をした火で暖を取りながら、お父さんの読む物語に、子供達は耳を傾けていた。アルコールランプの灯りは、身を寄せ合うのに、ちょうどよい、温かみと明るさであった。
ここでは、トウモロコシがよく取れるようで、トウモロコシを挽いて、ダッチオーブンで焼いたパンはとても素朴で美味しかった。食卓は、とても質素であったが、とても豊かであった。この家族の生きる力・喜びが、食卓に並ぶ全ての料理・食材に味わうことができた。
 日中は、女性たちは洗濯したり、料理をしたり、畑にいったり。男手は、斧で木を切って、薪木にしたり、馬を引いて畑を耕したりと。ここの子供達は、皆、感心するくらいによく働く。それも、率先して楽しそうに、誇りをもって、仕事をしている。子供達は皆ホームスクールで、学校に行かず家で勉強している。「今日は、音楽の授業で、みんなで、あの家のお母さんに習いにいくの」。それぞれの、お父さんお母さんが、日々の仕事の合間に、自分の得意分野を子供たちに教えていた。子供たちにとっても、一番の学びは大人達の手伝いをすることで、日々いろいろなことを、自分たちの手を使って、経験を通して、学んでいた。
***
:
ここでの暮らしで目にするものは、どこも、かしこも、美しかった。
こうした機械を使わず、人間の手でできるだけの範囲とスピードで暮すことは、彼らの自然への、神への畏敬の念が込められているように感じた。
ぼくが「美しい」と感じていたものは、彼らの神への「畏敬の念」の現れだったのだ。
 ・
家族皆が寄り添い、助け合い、分かち合う姿をみて、人間としての種族の本来の構成単位とは、こうあるべきだったのでは、と感じた。
・・
それは、日々、感謝の気持ちを忘れずに満ち足りて、暮らしいる家族の姿を、この目で見たからである。