* 暮らしの物語  *
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 世界を旅をしてきて、こころがどうしようもないぐらいに、ときめいた瞬間を思い返してみる。

それは、世界のどんな場所であろうとも、その土地の、人々の暮らしに出会った瞬間だった。

大地に根を張り生きる姿に、畏敬の念と、安堵の気持ちを抱いた。

手の温もりが残る、質素な暮らしの佇まいに、こころ惹かれた。

人々の生きることへの信念が具現化された、暮らしの清貧さに、美しさを見た。

魂が震えた

優れた芸術には、触れたもののこころに、何かを歓喜させる力があるという。

そして、圧倒的な芸術には、創造の力を、人々のこころに呼び覚ますという。

ぼくは、人々の暮らしの中に、圧倒的な美しさを見たのだ。

そして、我が気持ちは、自身の暮らしへの創造へと、はち切れんばかりになっていた。

今の暮らしへと導いて行ってくれた、人々の=暮らし=の物語を語ります。
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クジラの日曜日
2010
in New Zealand
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クジラを海へ・・・
今日は、日曜日。朝、みんなで、フランス人の女の子が弾くピアノを聞いていたんだ。彼女は今日ここのコミュニティーを出て、また別のところにいくというので、お別れにピアノを弾いてくれたよ。みんなで、ピアノの音に包まれて、幸せな気持ちに浸かっているところに、一緒に住んでいるアメリカ人の女の子・ドーターがびっくりした様子で窓ガラスのドアを開けて入ってきて、「すぐ下の町の浜辺にクジラが打ち上げられたらしいわよ!」って言ったんだ。ぼくたちは、車に飛び乗った。

クジラってどんなに大きいのだろうと、みんなの頭の中に、もくもくと想像がいっぱい膨らんでいた。
車は、坂道を転げ落ちながら、海を目指した。
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もう何年も前に、ノルウエーからアイスランドにいくフェリーの上から、クジラを見たことがある。その時は、潮を噴く部分がちょっと海面に見えただけで、よく分からなかったけど、相当に大きかったことは想像できた。今、ぼくたちが会いに行こうとしているクジラは、浜に打ち上げられしまったのだから、、きっと、体全体が見えるだろう。どんなに大きいのものなのだろうと、こころがわくわくした。それと同時に、なんで浜辺に打ち上げられてしまったのかと、心配な気持ちも。

崖の上の車道から、遠くに、海上に人がいっぱい集まっているのが見えたんだ。
波打ち際から何100メートルも沖に人が集まっているものだから、どうやって、人々はあんな場所にいけるのだろうと、不思議だったよ。車を止めて、みんな駆け足で、道からに浜辺に降りてみると、その理由が解った。ここは遠浅の湾で、時間帯によっては、ずーっと、ずーっと、何100メートルも、足が届いて歩いて沖まで出れるのだ。

 

 

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海を歩いて、向こうにみえる群衆に近づいていくと、手前に5、6人のグループが赤ちゃんクジラを抱えているのが見えた。わあ、本物のクジラだ!そこから50m先の群衆まで近づいてみたら、驚いたことに、先程のあかちゃんクジラのように5~10人づつぐらいのグループで、沢山の小さなクジラたちを抱えている。そうか、てっきり、大きな、大きな、クジラが1頭デーンっと横たわっているものだと想像していたのだけど、どうやら、小さなクジラたちの群れがこの湾に迷い込んできてしまったみたいだ。全部で、60頭ものクジラの群れだったと聞いた。そして、そのうちの、20頭は死んでしまったのだって・・・。みんな、片手でクジラを支えて、もう片方の手で、クジラの体が乾いてしまわないようにと、海水を掛けてあげていた。総勢数百人もの人たちが、クジラを助けるために、陸から遠く離れた海の上に集まっていたよ。

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そこから、レスキュー隊の人たちの誘導で、クジラたちを一頭、一頭、順番に一列になって、沖へ押していってあげたんだ。それは、とても不思議な、夢の中にでもいるような光景だったよ。数百人という人間が、陸から何100メートルも離れた海の中を歩いて、一列になって何10頭ものクジラたちを脇に抱えて、沖に連れて行ってあげたんだから。腕の中で、クジラたちが戸惑い弱っている様子が、手のひらを通じて伝わってきていて、みんな、「大丈夫、大丈夫、もうすぐだよ」って、クジラたちに声を掛けて励ましてあげてるの。本当に人間と自然界の動物が、しかも、陸の人間と海のクジラが手と手をとりあって、この状況を乗り越えようと、ひとつになっていたんだ。

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もう、胸まで海水がくる沖まで出たところで、クジラたちを離してあげたの。クジラたちは、そっと尾ひれを跳ね上げて、ゆっくりと、海に戻っていったよ。ぼくたちは、クジラたちを見送った。もう、その姿が海の深みに消えて行ってしまうまで、見送ったよ。

・・
クジラたちに背を向けて歩きはじめると、この30分ほどの間に潮が満ちて、遠くに見える浜辺はさっきまでと、ぜんぜん違う様子になっていた。クジラが海に帰って、海がまた深さと広さを取り戻したように感じたんだ。おかげで、荷物を置いていた岩もすっぽり水の下で、お財布とカメラとお気に入りのシャツがもうそこにはなかった。けど、まあ、いいや、クジラに会えたんだもん。水の中をずっと歩くのはきついものだから、ついスキップしたくなったんだけど、そしたら、ジャステインは、もうスキップしてて、ほかのみんなもスキップしてて、水しぶきをあげながら水の上をはねて、浜辺へ帰っていったよ。
せっかく町まで降りてきたものだから、この小さな町にある唯一のお店に食材を買いにいくと、海からあがってきた大勢のひとたちが心から笑っている笑顔とともにそこにいて、何ともいえない幸せな空気に満ち満ちているのを、各々が肌で感じていたんだ。帰りの車のなかで僕たち四人はもうずっと、嬉しくて、嬉しくて、今も腕の中にクジラたちを感じていたんだ。夜、寝るまでずっと、今日起こった出来事を思いだして、『Wow !』って言っていたんだよ。『きょうのことは、ぼくたちがおじいちゃんになっても、孫にも語れるね』って。

そんな、遠い海の向こうのおとぎ話の日曜日が、この小さな浜辺の町にあったんだ・・・。