* 暮らしの物語  *
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母なる教え
ーGiftー
2006
in Guatemara
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中米・グアテマラ

トロピカルなアボカドの木々が生い茂る湖の村に、旅の途中のいっ時の居を構えていたことがある。そこは、まさに楽園で、大地を裸足で歩き回り、湖で裸で泳ぐ日々だった。

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そんな村に、ある日、黒いロングスカートに黒い革の編み上げのブーツを履いた、日本人の女の子がやってきた。原色の自然一杯の土地に、この黒のいでたちはとても不自然に見え、それが逆にとても印象的だった。

一昨年までこの村で一緒に暮らしていたイスラエル人の女の子シャニー。彼女は、キューバに音楽留学をするためこの地を離れた。そのシャニーが夏休みで、一緒の音楽大学でピアノの勉強をしているちよを連れて、グアテマラに帰ってきたのだ。

ちよは、何も分からずに、シャニーに未開の地につれてこられた様子。
寒そうなので僕がずっと旅で持っていたブランケットをかしてしてあげた。
『このブランケットに包まっていると、安心するね』と言っていた。

シャニーとちよとぼくたちは、他の仲間も一緒に、湖の向かいのにぎやかな町に行ってショーをやった。ちよは日本人からきた女の子ということで、安易にも、白塗りに着物を着て演奏をした。

同郷の嬉しさに、ちよとたくさんのお話をした。見知らぬ国・キューバのことを知りたかった。そんな地で、現地の大学に入って音楽を学ぶ日本人の女の子の勇ましい物語に、興味津々だった。お話を聞いている遠くには、湖のせせらぎに、鳥たちがいつも歌っていた。

 

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ちよがこの湖の日々からお別れを告げる日が、近づいてきていた。

ちよはこれから一人で、はるか遠くにあるマヤの遺跡を見に行って、それからキューバに帰ると言っていた。未知のグアテマラの地での一人旅に、とても心配そうだった。ちよは、ある時思い切った様で、ぼくにこうお願いしてきた。

『夜は冷えるし、これがあると安心だから、このブランケットこれからの旅のためにもらっていってもいい?』

旅人にとってブランケットは必需品だ。ぼくは、まだまだこの先も旅を続ける予定である。しかも、このブランケットは僕の一年間の馬旅、その後のアメリカでのネイティブ・アメリカンに会いに行った旅、これまでずっと一緒に旅してきた思い出一杯のブランケットだ。正直、『えー、隣町で、マヤのおばちゃんたちが、お土産でかわいいブランケットいくらでも売ってるから、それを買ったらいいじゃん・・・。』と、心の中で呟いた。

ぼくは、このブランケットの大切さを彼女に語り、断った。

けど、ちよにはこのブランケットが、何か特別なものの様である。

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船着場での別れ。

船が着くまで、あと数分あるようだ。

ぼくのこころの中に、ネイティブ・アメリカンの人々から教わった言葉がずっと響いていた。

 

『もし誰かが、自分よりそのものを必要としているなら、あなたはそれをその人のために手放しなさい。』

 

ぼくは走って家に帰り、船がでる間一髪のところでブランケットを渡すことができた。

なんか、嬉しかった。

 

その後の旅で何度、『あー、あのブランケットがあれば…』と思ったことでしょう(未練がましいですね…)。

ネイティブ・アメリカンの言葉には続きがあります。

『もしあなたが本当に大切にしているものを、人にあげることをできたなら、あなたはいずれ、それ以上のものを受け取ることになるでしょう。』

この言葉は真実です。
今まで、何度このことを実感したことでしょう。
もしかしたら、何か別のところからお返しがやってくるかもしれません。
とにかく、本当に、ぼくは自分が差し出せること以上のものを頂いてばかりです。

もしかしたら、ちよは、ぼくにこの言葉を実践するためのきっかけを与えてくれるたのかもしれませんね。

ありがとう。。。。

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ちよのお話には、もうひとつの続きがあります。

ちよは、その後、鶴の恩返しのように、けなげに何度も何度もお礼をメールなどで伝えて来てくれました。そして、日本に帰って再会した時に、ちよはわざわざクリーニングしてあのブランケットを、ぼくの家まで持って来てくれたのです。ぼくは、ブランケットとの再会を喜びました。それは、ブランケットを取り戻せることの喜びよりも、このブランケットがずっとちよの側でぬくもりを与えて守ってきてくれた姿に再会し、その姿に誇りに思う気持ちでした。『このブランケットは、これからも、ちよが持ってたらいいよ』と伝えると、『このまま持っててもいいの?』と言って、嬉しそうにブランケットを抱きしめていました。こんなに大事にしてもらえて、ぼくもとても嬉しい思いでいっぱいです。

* * *

旅の日々、たくさんの人々に出会い、たくさんのことを学びました。

ネイティブ・アメリカンの人たちには、それは本当の家族のように良くしてもらいました。会ったばかりなのに、家に招いて寝食のお世話をしてくれるばかりでなく、彼らの聖なる儀式にも何のためらいもなくぼくたちを連れて行ってくれたのです。そして、彼らが携えているさまざまな母なる教えを、シェアしてくれました。

あるネイティヴの男性が首にとても素敵な首飾りをつけていたので、「素敵ですね」と伝えると、彼は「これは、祖母の形見なんだ。この首飾りをつけていると、いつもぼくは守られている気がするんだよ」とペンダントヘッドの石を指でまなでながら、答えてくれました。それから数日後の、旅立ちの時。彼はぼくを見つけてまっすぐにこちらへ歩いてきて、言いました。「これを君に。ぼくよりも、旅に出る君の方がこれを必要としている」と言って、首から祖母の首飾りを外してぼくに渡してくれたのです。

ある時、ぼくは彼らの一人に尋ねました。

「なんで、こんなに良くしてくれるのですか?ぼくに何かお返しが出来ることはありますか?」

彼の答えはこうでした。

「当たり前のことをしているだけです、私たちはこの地球上の兄弟、姉妹、家族なんだから。」

彼は、こうも言っていました。

「けどね、これは自分のためでもあるんだよ。ぼくは、この宇宙の法則を知っているんだ。何か人に差し出せば、何倍もの見返りがいずれ自分に返ってくることをね。」

そして、最後に、彼はもうひとつの言葉をぼくに差し出してくれました。

「けど、もしあなたが本当に感謝してくれているのだったら、この経験を日本の家族、兄弟、友人たちに話してあげてください。そして、次にまたあなたがこの地に帰ってくるときには、一人でも多くの仲間を日本から連れて帰ってきててください。そうやって、ぼくたち地球に生きる家族を大きくしていこう。それが私の望みです。」

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