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*    寒さ匂わせ    *

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お勝手口を出たすぐ正面には、山椒の木が植わっている。

その実が、随分と赤い姿を見せている。

赤はクリスマスを連想させるのか、その色に冬の存在を感じた。

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いっとき、赤色に目をやった後に、足元のツユクサの青がとても印象的だった。

その青い小柄な花たちが、朝の光に向かって揃って顔を向けている姿は、とても愛らしかった。

赤と青を写真に撮りたいなと思いながら、いざ畑仕事が終わって、カメラを持って徘徊したときには、もう青い顔は閉じていた。毎日、日記を書く様になって、毎日暮らし周りの写真を取る様になって、お花の日課のこともよく知る様になってきた。

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「涼しくなってきた」とはここ最近の口癖だったが、今日の午後の涼しさの奥にはキュッとした寒さがあった。

もう、数日すれば、秋分の日となり夜がよけいに長くなっていく。

口から出る言葉も、「寒くなってきた」に変わるだろう。

そして、ここから瞬く間に、景色もその姿を変えていくのだろうか。

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寒さには、匂いがある。

ここ数日、確かに寒さの匂いが漂い出している。

その匂いは、ぼくに故郷東京を思い出させる。

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新月も過ぎて、畑では秋冬野菜の種まきをしている。

1ヶ月前に仕込んだボカシを開けたら、綺麗に白カビが生えて醸した匂いがしていた。

上手に発酵していてよかったと思っていたら、もうひとつの袋は、失敗気味の鼻につく発酵の匂いがしていた。

二つの袋とも、全くに同じ条件だったのに、この違いはどうしてだろう。

家から畑に降りる石段に覆いかぶさった柿の木から、柿の実がいっぱい落ちている。

なぜだか、この柿の木の実は、よく落ちる。

柿の実落ちれば、スズメバチと交通事故に遭わないように気を付けなければいけない。

今日も何度も、柿の実に夢中なスズメバチの通せんぼ行為に気付かず、うっかり通り超してしまい、危うく衝突事故になりそうだった・・・

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種まきのために、畝の準備をした。

鎌で下草を刈り取った。根が大きいところは、鎌を土の下に入れて、根切りをして株を取っていく。そしたら、モグラの穴に鎌が入ったようで、モグラがピョンと畝から飛び出してきた。ぼくの畑は、モグラの穴だらけ。モグラの害を相当に受けている。モグラ叩きゲームみたいに、飛び出したモグラをポコンと叩いてやりたい気持ちだったが、あっと言う間に姿を消してしまった(けど、モグラってあんなに早く動けるのかな?もしかしたら、畑ネズミ?けど、穴から出てきたしな・・・)。

種を蒔く前に、畝の形を治しておきたいのだが、鍬を入れて土をひっくり返すことはしたくないので、どうしようかと悩む。とりあえず、畝と通路の境界線を綺麗にしてはっきりさせようと手を動かし始め、そのまま、畝と畝の間の通路を鍬とシャベルで整えていたら、結果、畝はいじらないままに畝の形も良くなっていた。このように、対象にかかる力点を境界線を基軸にひっくり返して、現実にある問題や対象の意味もひっくり返る感覚は、愉快だ。

髪がとても長かった頃に、「なんで、そんなに髪を伸ばしているのですか?」と聞かれる問いに、「伸ばしているのではなくて、切らなかったら伸びたのです」と答えていたことを、思い出した。

モグラの解決策も、こんな具合に、発想のひっペリ返し術でも使って見つかるとよいのだが…。

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数日前から、裏山に今まで見たことがない、球根植物の蕾を見つけていた。

どんな花が咲くのだろうと楽しみにしていると、その答えは、川に行く途中の日当たりのよい道で、すでに花開いた同じ蕾を見つけたことで分かった。それは、よく見る彼岸花だった。それにしても、初めての出会いのように感じられたのは、うちの裏山で咲くのは初めてのことだからだ、多分・・・。多分と言うのは、これも視点をひっくり返して、彼岸花の主張を聞いてみれば「あなた、私が花咲く時期にいつも出張ばかりで、私のこと見つけてくれなかったでしょ!」と言われているような気もしたからである。

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畑の作業に取り掛かる前は、今日の日記は何を書こうと悩んでいたのだが、畑をしてみればいくらでも書きたい題材が見つかる。畑で土に触れていると、思考がどんどんと巡っていく。こちらに移住してしばらく経った頃に知人に宛てた手紙のお返事の言葉を思い返していた。なんだか、この言葉の意味がやっとわかってきた気がする。

「そちらの暮らし、毎日とても楽しそうですね。活き活きとした文章から、その様子を十分に感じました。農的な暮らしをすると、季節の変化の分だけ表現も豊かになるのでしょうね・・・」

夕刻に、再び山椒の木を見ると、その実は昼間に見たときよりも、さらに赤くなっているように見えた。そして、足元の切り株には、先ほどまでは全くなかったキノコたちが、こんもり姿を現していて驚いた。こんな驚き・感動に出会った時は、誰かに伝えたくなる。その気持ちが、表現の豊かさなのかもしれない。

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畑作業と体の関係で言えば、特にパソコン作業で電磁波が体にズゥーンっと溜まってしまった滞りを流すのに、とても効果がある。整体やら温泉にとっぷりと浸かったごとくのように、巡っていく感覚がある。これは、心身ともに素晴らしい医療行為であるのは間違いない。医療行為というと、なんだが「悪くなった症状に対処」するという感じもするが、いのちは本来この巡っているシステムの中に在るのが、本来の居場所なのではないかな。

カレンダーには、明日が「一粒万倍日」と記されている。

明日の種まき楽しみだ。

今日の仕事は、明日への楽しみのための種まきだったのだな。

これ、今日の発見。

前日のうちに次の日の楽しみの種まきをしておくと思ってその日の仕事をするのは、なんだか気持が楽。

そして、次の日に向かう気持ちも、ぜんぜん違う!

これもまた、同じ物事に対する視点の変換かも。

畑・野良仕事すると、いろいろなことを考え、気づきます。

土の中に在るものすごい量の情報に、手で触れてアクセスしているからなのかな・・・。

先日、友人が持って来たオラクルカードをひいたら、「考えすぎ」と出ました・・・

あれま、む・む・む・む・む・・・

あ、そうか、このカードの意味を「考えすぎるな」ということかも!

なるほど、なるほど、気持ちスッキリ〜。

自分に掛かってくる力点を、受け止めず、ずらして、逃して、ひっくり返して、楽な方で行きましょう。

今晩は、もうこれ以上考えすぎずに、寝ますね…。

おやすみなさーい。

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