まだ少し肌寒くもあるのだが、家中の襖や障子といった建具を全て取り払って、納屋に仕舞った。家の衣替えである。なんだか今年は、この季節行事が例年よりも随分とはやくに行われた。ちょっと前のめりでのこのタイミングは、今週お客さんがくるに当たって、家を整えたかった気持ちもあったのかもしれない。

 空間の仕切りがなくなると、家はまるごとに一つの空間となった。小さな子供がいたら、家の隅から隅まで、畳の上を走り回りそうである。その日は、いくぶん大人げな足並みで風が走り抜けていた。そして、光が踊り、旋回をはじめた。仕切りがなくなったことからの、光の変化はより印象的で、こちらのこころをもより踊らせた。

 スッキリとした空間に掃除もしたところで、野の草花を、家のかどかどに活けた。より光を捕まえたく、花瓶にはガラスのものたちを選んだ。透明な花瓶に水をなみなみと淹れると、身のうちにもたゆやかな空間が広がった。ガラス瓶に蓄えられた水と光の溜まりに、次々と花を入れ込んだ。枝物には、葉の小さな山のツツジを選んだ。家にそよぎこむ風、光の粒子のリズムに、ツツジの枝は揺れていた。枝先は、宙に、瞬間瞬間のエレメントの軌跡を描き出していた。すっと伸びたアヤメの姿を眺める気持ちは、とても清々しく、天井突き抜け、屋根の上に広がる、遠く遠くの空の高さを思わせた。

 ひと段落し、見晴らしがよくなった家の様子を見廻す。かどかどに、ガラスに縁取られた水の塊と、そこに泳ぐ花たちが配置されている。射しこむ光に水が煌めている。光と水は目から流れ込み、気持ちを潤わせていく。ガラスの皮膜に包まれた水を眺めるのが、なんとも好きである。

 朝晩は、まだ肌寒くもあるのだが、戸を開け放ったことで、朝起きた目覚めの枕元のままに、家の隅々までを一望できる。そんな薄がりの家の静けさを、まだ残るいくばくかの寒さも手伝って、布団の中からいっとき眺めている。ひっそりと佇む家と自分の意識がしだいに同調していくのを感じながら、ようやく布団をめくり、起き上がる。お勝手へ向かう途中途中の花瓶の花々は、まだ寝ているようである。光訪れぬ水は、まだ、そっと、止まっている。

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