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 ゆっくりと寝た朝だった。昨日は季節外れの寒さで、小雨も降って、それでも楽しい輪のなか、雨風に吹かれて外にいた一日だった。そのことに、体の強張りがあったのだろう、おかげで、いつもより体が休息を必要としていて、おかげで、寝坊して、おかげで、スッキリ目覚めた朝だった。いつもより遅くに起きた朝の家に射しこむ日は、いつもより随分と光を増していて、ここ数日の雨続きの光とは明らかにその透明さに違いを感じる。澄んだ空気が戸の向こうからすでに漂ってきていて、「今日は晴れだよ」と語っていた。ようやくに、起き上がり、戸を開け、外に出ると、そこには、この数日間雨に洗われ続けた外気が見事に澄み渡り、光のベールが、それは晒し布のように、はたはたと大気にたなびいている。そこには、「100%晴れ」との旗が掲げられていた。それならばと、降ったり止んだりのここ数日の空模様に翻弄され、出したり引っ込めたりとしていた洗濯物籠を勢いよく取り出してきて、洗濯機に突っ込んだ。すると、先週から、着おろし始めた白いシャツを目にして、いっとき動きが止まり、数拍考え、今一度、洗濯機の中身を取り出し、白物と色物を分けた。そうして、洗濯物を二つに分けたものの、洗濯機に詰め込まれたその様子は、いつもよりボリュームがあるようだ。ウィーンウィーンと、洗濯機が回るその音は、いつもより重たそうである。

 ウィーン・ウィーンと洗濯機が回る音を背景に、家中の戸を開けて、家中を掃除して回る。こんな晴れの朝は、掃除に洗濯にと、スッキリとしたい気持ちに駆られるものだ。このテキパキと家事を済ませていく軽快さに、月曜日の週の始まりを楽しんでいる。そうだ、そうだ、今日は月曜日だ!なんだか、そのことが嬉しい。しかし、月曜日と思ったものの、戸の向こう、川の向こう、山に目をやり、山の裾野を走る集落を出た先の国道に意識をやってみれば、そこは車が往来し、そこにはGWの休日の緩やかな空気が流れている。そうか、今日は休みか、休日だ。すると、月曜日の平日モードは、一気にGWの休日モードにすり変わっていく。面白いもので、人々の営みに繋がったとたんに、先ほどまでの大気の様子が、ガラリと変わったものである。

 ピー・ピー・ピーと、洗濯終了の音が鳴る。すぐさまにお勝手口の外に走っていく。この間髪入れずの反応に、今日の自分の動きのテンポの良さを自覚する。後回しにして、後から思い出し、洗濯機に放って置かれたままの洗濯物をよく目にするもので。洗濯機の蓋をあけ、グルグルになった洗濯済みの衣類と、籠にスタンバイされた白物たちを入れ替えていく。蓋を閉め、もうひと回し。洗濯後の衣類は洗濯済みを証明する重さを担っている。籠を抱える体勢が、先程の「洗濯機行き」の表示の時とは違う。ずしりと重い。しかし、その重さを、大気に、光の中に、放つことを思うと、気持ちは軽く、足並み軽く、綿毛のごとくに、縁側へと跳ねていく。クシュクシュになった衣類は、パンっと広げられ、蒸気が大気へ放たれる。綿毛が一気に空に吹かれ、飛ばされていくようである。洗濯物をハンガーにかけ、間隔に気を配りながら、竹竿に次々と、ひっかけ、並べていく。陽光にズラリと並んだ洗濯物たち。陽光は、すでに5月である。「初夏」との言葉を、この光の強さに垣間見る。今日の午後は暑くなるだろうか。「この光は5月だな」との言葉に、少し滑稽に感じている自分がいる。いつから、5月の光に変わったのだろうか。カレンダーをめくった時からだろうか。GWのトリックと同じ心理作用を感じる。しかし、「5月の光」と口にした自分は、心地よくもあった。暦と繋がったこと、それは過去からの人々の営みと繋がったことへの、嬉しさや安心感があったのだろうか。それは、尊敬と価値を認めた踏襲か。GWになってからというもの、この連休に合わせ、村人たちは一気に田んぼ作りに精を出している。

 陽光からくるりと背を向き変えると、家の暗がりとの光のコントラストに、くらりと目が眩んだ。しばらくして、家の光度に目が慣れ、我を取り戻すと「はて、何をやっていたのだっけ?」と考える自分がいる。「う〜ん」「あ、掃除だ!」と、洗濯機のブザーの音と共に放り投げた掃除機の場所へと戻っていく。そこに、ふーっと背中越しに風が吹き込んできたもので、振り返って見ると、振り返ったその先には、洗濯物たちがふわふわと揺れている。ぼくの好きな光景だ。すると、思わず、色のグラデーションごとに洗濯物を並べ替えたい衝動に駆られる。そして、思わず、そちらへ、一歩、足を踏み出しそうになったのだが、思い留まることにした。先程から続いている、今朝のテンポを大事にして、掃除に戻ることにした。

 ウィーン・ウィーンと洗濯機が鳴っている。今日の午後は暑くなるだろうか。洗濯物がよく乾くことだろう。