あぁ、よく寝た。と言っても、定刻の4時半前には起きたのだから、随分と早くに寝たということだ。昨晩の就寝時間は20時半だった。前日に、一日中海で遊んだ疲れが、次の日の晩にやってきての眠さだったようだ。この歳になると疲労や筋肉痛は、運動してから日をまたいでにやって来る。
 
 それに昨晩は、いつもとちがうタイミングでお風呂に入ったのも、夜の緩み効果を促進しただろうか。立夏過ぎて、ますますに陽気増してきたこの頃。陽気が増すに連れ、屋根の天日温水器の蛇口ら出るお湯も、その温度を増してくる。昨日のように一日中晴れとあれば、薪の火もいらずに天日のお湯だけで、そのままお風呂に入れる季節がやってきた。いままでだったら、外仕事を終えた17時にお風呂の蛇口を捻り、16分のタイマーをセットして、夕食の支度をしたり、一日の片付けをしているところに、ピピピッとタイマーが鳴り、小走りで蛇口を止めに行って、お風呂に手を入れてその日の水の温度を確認し、薪の量を算段し、火を熾す。そして、お湯が沸くまでいっ時の時間を待つのだ。ところが、昨日は晴れの一日で、16分のタイマーがなって手を入れて見たところ、「あ、このまま入れる」「いつもの時間まで待ってお風呂に入ると、お湯が冷めてしまうし、今、入ってしまおうか」と、まだ日の光が残る中、夕風呂をした。随分と日も延びたもので、17時半でも外は明るい。この頃は、時間を気にしていないと、ついつい遅くまで外仕事をしてしまう。「ああ、長い冬も終わって春になったなー」と、しみじみしていたのも束の間、立夏すぎて1ヶ月もしたら、もう夏至だ!

 いつもと同じ条件、同じ場所なのだが、いつもと違う時刻というだけで、「贅沢だな〜」とのお得な気持ちに盛り上がる。日の光があるうちに入る風呂は、なんとも贅沢であった。窓を開け、裏山から気持ちよい風が吹き込んできている。「ふ・ふ・ふ〜ん♪」と鼻唄歌って、十分に汗もかいて、水シャワー浴びて、あぁ、スッキリ。着替え済まして、風呂場の戸を開けると、座敷は縁側からの一日の終わりの淡い光に包まれていた。畳がなんとも気持ちよさそうで誘ってくるもので、それならばと、ゴロンと転がってストレッチをした。「う〜ん、う〜ん」と、いっときの夕暮れの時を過ごした。いつもの就寝直前の入浴だと疲れ切ってしまっていて、風呂から出るなりバタンキューなのだが、夕刻の入浴後には「あ、ストレッチしようかな」との余力があった。これは、気持ちよく、有益な発見だ!もう一つの発見といえば、いつもは意識もうろうのお風呂の読書も、昨日は随分と物語に浸ることができたものだ。そして、ストレッチ後の瞑想の時間には、すでに夢へ突入し、いつもの夜のお絵描きの時間への気持ちはあるものの、目が開かず、諦め、布団へ転がり込んだ昨晩であった。

 それにしても、お風呂とは偉大な装置だなー、と常々全身で感じている。『日・火・水・風』、自然のエレメントを風呂桶にぎゅっと凝集させて、そこに我が身を浸して、全身で受け取るのだから。お風呂の時間とは、裸になって、自然と融合していく、一日のうちの神聖な時間なのかもしれない。そして、今朝は検証をさらに深めるべく、朝風呂もしましたとさ。