「 春が渋滞しているね 」

と、友人のメールの一節にあったように(その友人も、またその友人の言葉を借りたそうだが)、なかなかに四月の春の訪れは、冬の終わりの喜びを味わうつもりも束の間、桜があっという間に咲いて、あっという間に散るように、気づいたら、後から後から野山田畑の庶務がどっと押し寄せてきた。そんなことも、なんなのその、冬の寒さからの解放と、春の訪れの喜びを、野の労働に変えて張り切っていた日々に、43歳の誕生日を迎えようとしたその前日に、まさかのぎっくり腰を迎えた。あぁ、久々に泣きました・・・。ぎっくり、びっくり、の数日を過ごして、ぱったり、仕事を休んで、ゆっくり、一週間も過ごしたら、ようやく動けるようになってきたところである。まあ、うっかり、うっかり、したものね。

 二月の末頃からは、畑には黄色い菜花咲き始め、三月の終わり頃からは野の小さな草花が、ぽつりぽつりと咲き始めて、植物たちの同行に視線を足下、空の方、あちらこちらへ、引っ張られた。そこには、同じように虫たちも、花々に引き寄せられ、活動を開始していている。畑にたくさん咲いた菜の花たちに、日本ミツバチが飛来している。今年は、これだけ、家の周りに花が咲いたものだから、養蜂箱を据え置き直したら、今年こそは蜜蜂の群が来てくれてるかもしれないなどと思っていたところ、運良くも近所の養蜂家の方に指導を仰ぎ、いただいた蜜蝋を巣箱の内壁によく塗って、それはたっぷり塗って、裏山に設置してみたところ、数日経って、蜜蜂少数が箱の小さな入り口を出入りしている。

「あれま、これは、拍子抜けなぐらいに上手くいったものだ」と喜び、心躍るも、過去の失敗をもとに、遠目で様子を伺う。それは、数年前にも蜜蜂たちが巣箱の内覧に数日訪れたことがあったのだが、それは自分にとって初めての顧客であったもので、大いにはしゃぎ、嬉び、それは、それは、しょっちゅう、しょっちゅう、玄関先まで覗きに行ってしまったもので、そんな様子に、蜂達にお節介焼きの大家と思われたのか、数日のお試し滞在の後に彼ら彼女たちは、飛び去って行ってしまった。と、そんな話を地元のおんちゃんにしてみたところ、「あんまり覗き込みすぎたらいかんぞ、警戒されるけんね」と、忠告を受けていたのだから。

 といった、過去の失敗談を踏まえての、この春の蜜蜂の内覧会だったのだが、また彼らは二日滞在のあと、飛び去ってしまった・・・・・・。 ところが、その一週間後、見学隊の数匹が、再び出入りしている様子が見られたが、そして、また、飛び去った・・・・・。きっと、数ある引越し先の候補の中で、他を選んだのだろうよ。

 あくる日、我が家の軒先で軽トラのクラクションが鳴るのを聞くと、数件先のおんちゃんが「おーい」と呼んでいるもので、石垣の階段を降りていくと、「おい、うちの巣箱に群が入ったぞ!」と、これは今までに見たことがないぐらいの満面の笑みで運転席の窓越しにまくしたてているではないか。こんなおんちゃんの姿は、なかなか見たことない、嬉しいものだな、蜜蜂は人を喜ばすものだな。そういえば、わざわざクラクションを鳴らされて呼ばれるのも初めてのことで、はたまた、他の集落のおじさんたちにも、よく巣箱のことで話しかけられるようになったもので、蜜蜂は人の縁も継なぐものだなと、ハチミツの願望叶わなくも、巣箱設置の思わぬ副産物の人のつながりの喜び味わうのであった。

 四月は、もう、三日に一遍ぐらいに次から次へと新しい花と出会ったもので、まあ、それだけ、今まで、せっせと庭先に植物を植えてきた労働が花となって咲いたとのことでもあるが、花咲けば、虫が飛び、花の真ん中、花粉目掛けて、蜜蜂、熊ん蜂、あれやこれや花粉を集めて、その様子が可愛らしい。まあ、我が家の庭先の住人とならなくても、花に蜜蜂が飛んできて、「あぁ、蜜蜂さんかわいいね」と思っている自分がいるは確かなもので、巣箱を置いたことで蜜蜂の物語が、我が暮らしに交差していくのが嬉しくて、ああ、今日は、お勝手の窓の前のエゴノキの白い花が咲いたなー、と思う今朝である。