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 親ともたくさん、ぼくの進路についてお話しをしました。しかし、先ほどもお話ししましたけど、まったくに着地点のない問答の繰り返しです。親が、「旅してどうなるんだ?お前、それで大丈夫か?」と聞けば、「大丈夫かどうかなんて、わからない。わかっているのは、旅したいということなのです。旅してどうなるか知りたいから、旅をしたい」と。その時のぼくには、気持ちを言語化できるほどのボキャブラリーがなかったのですね。というか、これがぼくが持っている全ての言葉だったのかもしれません。そして、親に自分の勇気の示し方を知らなかったというか。それまでもの人生で、自分の意思を意固地に通してまで、親に自分の主張をしたことがなかったのかもしれません。しかし、この時ばかりは「旅にいきたい」とシンプルに主張を続けたのですね。そう、こころの声を大事に、自分の決意を握り締め続けられたのです、ついに。

 今、この歳になってみて、当時の親の年齢にも近くなってきましたし、周りの友人たちでも子供がいる家族の様子を見ていて、親側からの気持ちもそれなりに察して考えられうになってきたのですけど、やっぱり親の気持ちとしては、子を心配する思いの声がけですよね、「それで大丈夫なのか?後悔しないのか?」ってね。今だからこそ、本当にありがたい言葉だったと思います。

 ぼくの父も、若い頃に、船の厨房で働きながら世界を回った経験があるようなのです。残念なことに、その当時の父のことはあまり詳しい内容は知らないのですが、いつかちゃんと聞いてみたいですね。それで、父は「お前みたいに、日本を離れて旅をして、旅をし続けた結果、どこの社会にも属せずにしょうもなくなった奴を何人も知っているぞ。お前がそうなってしまわないか、心配なんだよ」って言ったのです。ぼくもそれまで旅をしてて、そんな人たちに出会ったことがあるから、そういう人たちは僕の目にもあまり素敵には映っていなかったので、父の言ってることも十分わかるし、自分でも旅の結果にその匂いが身に染みてしまわないかと、自分自身を危惧する思いが出てきました。なんか、そんな可能性も、この先の旅には含まれているのかと。

 けど、最後に、父が言ってくれたんですね、「お前の人生だから、お前の好きなように生きるのが一番だよな」と。「旅してきたらいいよ、旅をしてこいよ」って。そして、父は自分のことを少しだけ語ってくれました。父もいろいろな夢があったけど、家族ができてからは、自分のやりたいことと、家族を養うための仕事を分けたのだと。週五日は働いて、週末大好きなゴルフをやることにしたんだよって。けど、もし、やりたいことと仕事が一緒だったら、それは最高だよねって。「できるなら、琢哉の人生は、そうできるようになって欲しいよ」って言ってくれたのです。

 これから旅をするにあたって、「継続的な旅をしなさいって」とも言ってくれたんですね。その逆の意味は、断続的な旅はするなって意味で、つまりは、旅をして楽しかったと言って帰ってきて、またやりたくもないアルバイトやってお金貯めて、また次はここに行こうと言って日本を離れてと、そんな途切れ途切れの刹那的な欲求の解消の動きはするなと。そうではなくて、旅の時間が一つ一つ積み上がっていくような、そんな旅をして欲しいと。例えば、旅先で、こころ震えるような素晴らしい景色に出会って、その景色に感動して絵を描いて、それでまた誰かを感動させてあげられるような、そんな体験の積み重ねをして欲しいと。それが、継続的な旅だと。

 そして、最後の最後に、「お前はこれから1人で生きてくんだぞ」って言われたのです。「お前の人生を、自分自身で決めたんだからな」って。「お前、これから1人で生きていけよ」って言われた、あのリビングのソファに父と母と座って話していたあの瞬間を、今でもはっきりと覚えています。父のその言葉に、ドキッとして、いてもたってもいられないような、人生で初めての感覚を覚えた瞬間でした。

 そうなのです、それまでの大学在学中にも何十カ国も旅してきてはいましたが、そこには、いつだって親が与えてくれた安全な場所があったからこそだったのです。いくら、海の向こうで風来坊のように旅をしてきても、日本へ帰ってきたら、親が与えてくれた大学生という社会的身分があり、安心して寝れる家があったのです。いつだって、自分の居場所をちゃんと用意してもらっていたのです。しかし、「これからは、お前1人で生きていけよ」って言われた時に、「あぁ、今このタイミングで旅に出るということは、いままでの旅とは全くに意味が違うのだ」と気付かされたのです。この先、旅をして日本に帰ってきたとしても、もうそこには自分の社会的身分もなく、どこに帰属して生きていくのだろうと。いままでの旅は、春休みの2ヶ月などと期間も決まっていたけど、この先の旅は、もう、糸の切れた風船のようにどこまで飛んで行ってしまうのだろうかと、不安な思いが一気に押し寄せてきました。

 しかし、この父の「お前これから一人で生きていけよ」と言ってくれた、まさに愛の鞭のような言葉は、本当にありがたくて、これからの旅へ新しい意識のスイッチが入ったのですね。「あぁ、僕はこれから旅先で生きていくのだ」と。「旅先が、ぼくの暮しの場なんだ」と。今までになかった、意識が動き始めたのです。旅先で生きていくこと、つまりは、どうやって旅をしながらお金を稼いでいくのだろうと思いました。その心境が、まさにハングリー精神となって、その先の旅でさまざまなことへと自分を挑戦させてくれたし、その挑戦と失敗の繰り返しに、経験と技術を身につけ、お金を稼ぎ旅を続けることができたし、そのときの経験が当時から20年近く経ったいま現在の人生においても、暮らしの糧、つまりは職業と呼べるようなものになったり、日々の喜びを生み出してくれている結果になっていることを思うと、本当に、父からのあの時のあの言葉に感謝の気持ちでいっぱいなのです。