7/28 Fri.

晴れ

 ようやくに、絵も描いた。絵を描いたら、とてもすっきりとした。気持ちがいろいろと流れた。久しぶりのことで、手の動きは滑らかではなかったけど、描く行為自体がこんなにも自分にとって大切なことなのだと、久しぶりに大切な人と再会したような気分だった。それは、描いていて、とても楽しかったから。描いた後に、絵の良し悪しにかかわらず、とても幸せな気持ちになっていたから。夜に描いて、また、明日も楽しみだという気持ちが湧いてきた。

 明日も楽しみだという気持ちが湧いてきたこと。コロナ鬱とでも呼びたいような、病後なかなか気持ちが晴れなかったこころの天気模様も、ようやくその雲の向こうに突破して、日々に彩と光が戻ってきたような。そんな思いでワクワクとしていたら、銀歯が取れてしまって一瞬塞ぎ込んだものの、善は急げと、翌朝早速に車走らせ、街の歯医者へ。そんなで、昨日はまる一日、街での時間となった。歯の治療は痛かったけど、歯も一回の治療で治って、心配事が解決。スッキリした気持ちに、その後は、久々の街を楽しんだ。ジブリの新作映画を見たりと、よい気分転換となった。最近顔見知りになった大将のお店に顔を出して、美味しいものも食べた。

  久々に描いた絵は、愛媛・松山で絵を展示させてもらったRico Sweetsの思い出。ケーキ一つに、いろいろな思い出が何層にもなって詰まっている。この何層にもなったチョコレートケーキの名前はなんだったけかな?そう、絵の展示を最後に、松山へ通う一番の目的であった10回のロルフィングセッションも終わって、松山通いの日々も終わって、寂しくある。松山通いの日々は、山から街へ出る定期的な楽しみであったようだ。楽しみは心の滋養となっていた。それは、たまに山から降りて人に会う喜びでもあったようだ。その山から街への時間は、よい日々のアクセントとなっていて、日々にメリハリを持たせてくれていた。実際にロルフィングのセッションで、体調がどんどんよくなって、また山の日常に戻っていたのだから、そりゃそうか。しかし、山と街のパターンの余韻がいまでも残っていたようで、昨日の高知の街もよい時間となった。よいメリハリの時間となった。街で良い時間をすごして山に帰ってきたら、また山の暮らしを頑張ろうと、張り切っている。そんな、今朝である。