4/10 Wed.

すっきり晴れた朝

朝からスッキリ晴れている。

空が青い。

3ヶ月ぶりに四万十の我が家に帰ってきてからのこの10日間近くは、ずーっと雨&曇りだった。せっかくの桜も、曇り空のグレーには映えないなー、と思っていた。青空を背景にピンクの桜の写真撮って、絵に描きたいとカメラ抱えて望んでいたものだが。

まあ、それもでも桜は、桜。
一年に一度のこの季節を、愛おしく思う。

しかし、ありがたいことに、今年の桜の開花は遅かったようで、3月末日の帰宅後にちょうど満開の桜を見れました。いまは、四万十川沿いの桜は、もうすっかりと葉桜終わりかけ。葉桜の向こう、このように晴れた青空には、そろそろ初夏を感じ始めようか。我が家の庭のモッコウバラたちは、この晴れを待っていましたと、一斉に黄色い花開こうとしている。柿の木の葉が、初々しく光る。

この冬は丸3ヶ月も家を空けた。

長旅から帰ってくると、いつもの調子に落ち着くのにどうにも一週間はかかってしまう。一週間経った頃に、ようやく以前のように絵を描いて、日記を書いてという日々のルーティンのリズムが戻ってきた感じだ。どうだろう、この「落ち着く」とは、この土地にグラウンディングしていく時間のことのようだ。この冬は、久方ぶりの外国(台湾)への旅もしてきたものだから、だいぶこの土地から根を離して、外を飛び回ってきた気分。気持ちすっかり舞い上がってきた分、いつもの場所に帰ってきても、まだ、ふわふわとして落ち着かない気分です。帰ってきたばっかりには、「日々どんなに過ごしていたんだっけ?」と浦島太郎さんのような気分だった。

しかし、そんなおとぼけた頭でも、体がこの土地、この家での営みを覚えているようで、ある衝動が内側からトン・トン・トンとノックしてくる。それは、朝に目が覚めれば、瞑想して、音を奏で、畑に出て、夜に絵を描きたくなる衝動。トン・トン・トンとの音は、以前のそれよりも小さな音ではあるのだが、微かではあるのだが、今一度、僕をこの場所へ呼び戻している。あ、瞑想だけは場所に関係なく営んでいる行為である。その一筋の確かな糸が、なにかの拠り所になっているかもしれない。そして、いよいよ、日記を書きたいという気持ちまでたどり着いた、今朝である。

さて、日記を書くとなると、書いてみると、なぜかお天気、季節の時候、そして植物たちのことから綴り始めてしまうのだが、それもこの土地に、今に、繋がりを戻していく行為なのだろう。今朝にこうしてPC開いて、何も当てもなく「さあ、何を書こうかしら」と日記描き始めれば、肌感覚の感度ボリュームを上げて、周囲の空気を捉えようとしている自分がいる。その触覚は家から飛び出て、外の景色へとどんどんと広がっていく。それと同時に、自身の内側の空間にも意識が入り、いまの自分を考察する。そこで捉えた感覚を言語に落とし、今、日記に書いている。日記を書くこの作業によって、より、今、ここ、自分に、繋がる。その感覚の確かさを培っていくために、日記を書くのだろう。

とにも、晴れた、確かな、朝だ。