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ネパールより、四万十に帰って来て、一週間。

日曜日の今日は、集落の草刈りでした。

60〜80歳が平均の集落の男どもが集まって、4Kmもあろうか車道を朝一番から清掃をする。

若手のはずのぼくたち移住組だが、ヒーヒーといい、地元先輩方について行くのに精一杯である。

さすが、年をとっていても、ここで生まれ育ったネイティブの強さには、圧巻である。

 

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3ヶ月ぶりの我が家も、家の周りに畑は、見事に草に覆われていた。

この夏はまことに雨続きの日々だったようで、山からの溢れる地表を滑る水が庭にも、どっと流れて来ていたようで、地形の変化がみられる。

水の流れに乗って、あたらしい種が運ばれたのか、今までは見たことがない植物群を目にする。2年目の今年、開墾された土地から、今まで眠っていた種々が、開かれた土地に新たに注ぐ光りに、目を覚ましたのかもしれない。

とにもかくにも、見事な草達である。草刈りに追われる毎日である。

今まで、ずっと手鎌一本でことを済ませていたが、さすがにここまでなってしまうと、のどから草刈り機が欲しいと、声と手が出てしまう。

家の中のカビも見事で、毎日、洗濯物干しに、虫干しの布団と衣類で賑やかである。雨ざらしにされていた竹の物干しは、久々の重労働に「苦しいよ」と、折れてしまった。これで2度目なので、これは致し方ないと、タフな金属製のものに代えた。

 

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旅の3ヶ月が、まさに言葉のごとく、四万十の日常から「ぽっかり」と抜けてしまっている。ふっと、ちらつきはじめた「年の瀬」という響きが聞こえると、なおさら実感が無いのである。

この草に、このカビに、折れてしまった竹の物干しに、「ぽっかり」と抜けてしまったここでの3ヶ月の時を見ること出来るであろうか。

それは、「変化」として伝えていた。

 

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ネパールでの大きな収穫は、タンカ(仏画)教室で過ごした仲間と時間である。

「無心」に指先の筆から伸びて行く線に心を集中させて行くことは、まさに心が「今」にある連続であった。

「今」に心があることは、まさに至福の光りの中にいることであった。

 

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ぼくが通っていた、チベット寺院の中にあるArt Schoolにはラマ(僧)だけでなく、ぼくの様な外国人や、僧ではない一般人の地元の学生もたくさんいた。

だんだんと仲良くなって、いろいろとお話を聞いてみると、ラマや ローカルの学生は、ネパールだけでなくチベット人、インド人、ブータン人などさまざまな国籍な人たちがいた。要するに、あらたに引かれた国境で隔てられ、拡散しているチベット文化圏の人々が、ここに自分たちのルーツのカルチャーを学びに来ているのだ。

さらには、一般の学生かなと思っていた若い男の子は、「実は小さな時からお寺に入ってラマをしていたけど、去年、ラマをやめた」と言っていた。

 

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一日の授業が終わり、街を一望できるお寺の屋上へ夕日を見に上がったとき、チベット文化を勉強する同じクラスの韓国人の女の子が、面白いお話をしてくれた。

「ここでは、以前にラマ(lama)だった人のことを冗談まじりに、ex-lamaと呼んでいるわね。元彼女をex-girlfriendと呼ぶようにね。私たちのクラスにも、何人かex-lamaがいるわね。けど、みんな仲良く一緒に勉強していると思わない?」

ぼくは、「うん、そうだ」となんだか不思議に思った。ぼくの感覚で言ったら、一度その道を外れてしまったら、その場に残るのはとても肩身の狭い思いをするだろうし、周りの人もあまり気をよくしないだろうな、と思ってしまうのだ。

彼女はこう教えてくれました。

「けど、ここではそれも自然のこととして受け入れているの。全てのものは無常(Impermanence)であるから。人も、ある時は僧であって、次の日には僧でなくなるかもしれない。それも起こり得る自然なことなの。それを彼等は受け入れているのよ。」

 

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あることをきっかけに、心が輝きだすときがある。

それは、ある人の言葉かもしれない、そのとき見た夕日かもしれない。

「大いなるもの」に繫がる扉がそこにあったのだ。

 

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秋の冷たさを含んだ風がふいた。

顔に笑みがこぼれたのは、人々が祈りを捧げるこの街の空を舞う風が頬を撫でた後であったろうか、

それとも、至福の心が風を呼んだのであろうか。

 

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