四万十の我が家に帰って来ました。

この夏にネパールに3ヶ月行って、帰って来たと思ったら、方々へTABI巡業に出て、気付けばもうすっかり、冬、冬、冬。

「寒い冬がまたやって来たのか」と身が引き閉まる思いです。

一巡り前の冬は、四万十ではじめて迎えた冬でした。

以下は、そのはじめての冬の、寒さ、厳しさ、美しさ、を綴った文章です。

 

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『冬の効用』

 

四万十に越して来て、はじめての冬を迎えています。

冬の時間、そこには静かな魔法がありました。

 冬の一日の始まり。目覚めに戸を開けると、朝の特別に澄み切った空気がぴんっと張りつめています。この張りつめた寒さは、透明に輝き、神聖さに満ちあふれ、朝の空気を吸い込むことの喜びを与えてくれます。この瞬間、寒さとは温度以上の意味をもって世界に散りばめられ、そして一日が始まって行くのです。

 朝日があの山の向こうに上ると、白く霜に覆われた大地が動き始めます。朝一番の日を浴びる畑にいって、日だまりに身をさらし、寒さにこわばった筋肉が緩んでいくのを感じていると、足下の野菜たちも同じようにしているではありませんか。霜の下、ギュッと縮こまって耐えていた葉をのびのびと広げているようです。こんな野菜の様子をみていると、とても可愛くて仕方ありません。野菜をこんなにも可愛く思えるとは知りませんでした。気持ちが入りすぎている分もあるかもしれませんが、そんな野菜達の味はとびっきり美味しいのですよ。そう、こんなにもけなげな野菜達ですが、冬の寒い日常の中、たくさんの喜びを与えてくれます。

 山にはたくさんの枯れ枝が落ちています。枯れ枝は火となり暖となって山の匂いを立ちこめながら家中に広がっていきます。こんなとき、とても不思議に思うのです。さっきまでは山の一部だった枝が、今は火となって燃え尽き、部屋を暖め、ぼくの体温となったのですから。全ては繫がっていますね。そのことにとても感謝しています。そして、その不思議さにワクワクします。

 さあ、あたりは暗くなって来ました。夜空の大スクリーンには、大宇宙が映し出されるのですよ。昼と夜の空の劇的な変化には本当に驚かされます。(とくに夜中にトイレに行ったときに、不意に空を見上げると、その星の数に我を忘れて「わぁ」と声をだしてしまいます。)星たちの瞬きが山々に降り注いでいるのが見えるようです。この星たちの瞬きの放射にも、確かな栄養があるのでしょうね、青白く照らし出された山や谷、川を見ていてそう感じます。現に、その光線はぼくの体の芯を通って心の奥まで突き抜けていくのを感じます。そう、朝の神聖な空気を一杯吸い込んだときのような、あの感じです。

 きらきらと美しい冬の魔法には、奥深さもありました。そのことも、みなさんにお話ししなければと思います。

 ぼくは、この冬、寂しさを感じたのです。いままでに感じたことのないような大きな寂しさです。

 その寂しさは、冬の静けさの美しさに心を捕われているうちに、するりとぼくの心の中に入ってきていました。この表現はとても正しい表現だと思います。なぜならば、冬の美しさに心を捕われるとは、それだけ自然に心が同調していた状態だったからです。そして、自然と同調したことによって湧き出て来た感情が、「寂しさ」だったのです。そう考えると、この寂しさは自然なこと、今必要なことのように思え、ただただ、その寂しさを抱きしめていようと思えました。

 いままでの様な、都会での暮らしや、旅の移動型の暮らしをしていたらこの寂しさはきっと湧き出てこなかったでしょう、それは今まで常にぼくの内に内在していたとしても。この冬は、この土地に根を生やして暮らそうと決意をし、淡い春に四万十に越して来て、躍動の夏を過ごし、紅い秋を過ごした後の静寂なる冬なのです。

 こうして、感情の変化も季節の変化とともに一年という単位で俯瞰してみると、この「寂しさ」というものの意味がわかるような気がします。その視点から見ると、この「寂しさ」を表面に浮き上がらせてくれたのは、自然が処方してくれた「冬の効用」なのだと、ありがたく感じています。一年という単位の中の冬の静かな時間に、自分を内側から調整し、さらには春に芽吹くための準備をしてくれているのです。冬の静寂は己の内へ内へと意識を向けて行くのにふさわしい時だと実感しています。また、「冬の効用」にしっかりと反応できている自分の心と体の変化にも気付くことが出来ました。この変化は、ここの質素な暮らしと自然のおかげです。

 ぼくはこの冬を振り返る日が来るとき、「美しく寂しい冬」だったと思うでしょう。それは、過去の愛おしい人を想うように。

 さあ、冬を味わい尽くした後の、春の訪れはいかがなものでしょうか。冬を耐えた後の木々のしなやかさと、やわらかな新芽を思います。

 

2014年1月末日

 

追伸:今朝、雪がちらつく朝の光に、黄色い菜の花が咲いているのを見つけました。寒い毎日のなかの菜の花が届けてくれたその小さな変化は、日常の喜びとともに、何か大きなものが確実に動いていることを感じさせてくれました。その大きなものの営みを感じたとき、ぼくの心に確かな安堵感が流れ込んできました。

 

 

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