2019.10~12

Journal from Myanmar

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*  Pagoda  *


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* ミャンマー旅行記・総括 *

ミャンマーの首都ヤンゴンに降り立つと、そこに、どんな近代的な高層ビルよりも高くそびえて見えいたのは、仏舎利塔(パゴダ)でした。その麓では、人々は絶えず、祈りを捧げ、瞑想をしていました。僧侶、カップル、家族づれ、お洒落な若者たち、信仰深いお年寄り。身柄を問わず、老若男女問わず。

こんな都市の中心に、何千人単位で、常に、人々が祈りを捧げる場所があるなんて、どれだけの個人、そして集合体としての意識の上昇が、日々、この都市の中で起こっているのでしょう。家々の窓からもその姿を眺め、人々は、常に思いを送っていることでしょう。赤子の泣き声が聞こえてくる、あの夕日に照らされた家の窓の奥、そんな大人たちの姿を感じ、赤子は育っているのでしょうか。

それは、首都ヤンゴンだけではなく、ミャンマーの国中に、いたるところで、同じ光景を目にしました。人々は仏舎利塔の麓、寺院の境内、公園のベンチ、川原沿い、洞穴、森の中、さまざまなところで祈りを捧げ、瞑想をしていました。祈り、瞑想する姿は、村や、街、都市の集合体としての暮らし営みの中で、自然な光景となっていました。

日本の暮らしで、出先で瞑想場所に困ってしまうぼくとしては、羨ましく思いました。「あぁ、ちょっと疲れたな」と思ったら、ガソリンスタンドに燃料補給に行くように、街の角かどに瞑想ポイントがあって、好きに瞑想してよかったら、さぞかしよいだろうなー。その場所は、人々が何世代にもわたって、瞑想し、祈りを捧げてきた場所であるだけに、長い長い年月の中、そこに蓄えられてきた波動に包まれ、共振し、いま、ここ、に在る以上の休息と、意識の拡大の場となることでしょう。

人々の姿に学ぶ、ミャンマーの旅でした。

本当に学び多き旅でした、ありがとうございました。