山形ビエンナーレ参加作品

ー暮らしー

9・

*::::: 台風がやってくる :::::*

9月5日(土)

3時半:起床。

瞑想一時間。

まだ、薄暗い中、畳にマットを敷いてyogaをしていると、外の景色が、だんだんに赤く染まってきた。

いつもはこんなに赤くならないものだから、嬉しくて、外に出て朝焼けの様子を見に行く。

台風の影響で厚く張った雲に、光が反射して、このような光になっているのだろうか。

蚊に足をだいぶ噛まれたところで、空を見上げるのにも満足したので、家の中に戻る。

レコードの音が止まっていたので、針を戻し、yogaマットの上に戻る。

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朝6時

台風が近づいてきている。

台風の備えをしておかなければ。

畑にて、背高のっぽの菊芋と、たかきびが倒れてしまわないようにと、竹と麻紐で支えを作る。

畑の竹仕事には、細くシュッとした真竹が扱いやすくて格好良くて、いいなと思うのだが、うちの裏山には、孟宗竹しかないのが残念なところ。孟宗竹の良い使い方を発見したい。

気になっていた畑仕事が、とりあえず済んで、一安心。

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朝9時:川泳ぎ

家のすぐ下には、四万十川が流れている。

朝一番の畑仕事の後に、川に飛び込み泳ぐのが日課である。

最近の雨で、川の水量も幾分増えて、川の表情が違う。

いつもの潜水ルートもどこかに行ってしまった。

水温は、夏の盛りに比べたら、随分に冷たくなってきた。

あと、どれぐらい、朝の川泳ぎの日課を続けられるだろうか。

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・・

川の効果というか、水の効果は本当に凄い!

禊(みそぎ)とは、まさにこのことで、身も心もピッカピッカ。

「さあ、この後の一日も、存分にやってやるぞ!」

と、晴れ晴れとした気持ちで、活力に溢れながら家に帰ってくる。

いつもの日課だったら、ここから、バター・コーヒーを片手に机に向かい、執筆などの創作的な時間へと没入していく。コーヒーの作用か、排便も決まって、このタイミングだ。

しかし、今日は、台風のことがやはり気になったので、コーヒーを手に持って向かう先は、納屋に構えた作業場とした。

この夏に網戸を貼るために外してしまっていた、窓ガラスの作業も、台風到来の前にやっておこなければ。

窓枠を打ち付けて、はめ込んでしまう前に、ガラスを不透明な擦りガラスから、透明のものに変えておきたい。

近所に鉄くずを集めているゴミ捨て場があり、そこで透明な窓ガラスを見つけては貰ってきて、せっせと既存の擦りガラスとはめ変えている。

街育ちのぼくにしたら、不思議で仕方ないのだが、どうして農村地の家は、こうも擦りガラスが好まれているのだろう。外にこんなに綺麗な景色があるのだから、家の中からも、ぜひ眺めたいものである。もし、人の視線が気になると言うのなら、街の方が多いであろうに。まあ、こちらは、虫の視線が多くて困ってしまうのは、確かだが。

鉄くずゴミ捨て場に捨ててあるのは、全てアルミ冊子の窓で、厚みは3mmのものが、ほぼ全て。

既存の古民家の木枠の窓にはめられているガラスの厚みは、2mm。

木枠のスリットに、この1mmの差を拡げる作業がなかなかに大変で苦労するのだが、だんだんと上手いやり方を編み出してきてる。以前よりも、短時間で綺麗にできるようになってきた。

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ガラスを切る作業もなかなかにコツがいる。久々のガラス作業で、ブランクあったのか、2枚分失敗してしまった。もったいない・・・。けど、もともとゴミ箱から拾ってきたことを考えると、幾分、気が楽である。その逆に、捨てられてしまっていたものを、再び、価値を見つけて何かを作り出せることは、新しいものを買うことでは得られぬ喜びがある。

そう思うと、この家もぼくが7年前に越してきたときには、何年も見放された寂しい状態であったが、今は、家の周りの植物、畑の野菜たちも含め、言葉通りに、なんとも活き活きとした、暮らしの場になってきた。ぼくは、ここの暮らしが大好きだ。

なんとか、昨日と今日の作業で、木の窓枠2つ分のガラスを、透明のものにはめかえることができた。もうこれで、家の半分以上の窓は透明に代わった。嬉しい。

あとは、蝶番をつけて、家の梁に打ち付ける。これも、なかなか集中のいる作業なので、この続きは明日にしよう。作業しながら聞いていた、山形ビエンナーレのオープニングもちょうど終わったところだ。開会の言葉を聞いて、ワクワクと胸が高鳴る気持ちと、ここに参加することへのほどよい緊張感が高まっている。

時計の針は、もう、14時を過ぎている。

そろそろ、お昼ご飯としよう。

畑にて野菜の収穫。

今は、ちょうど、夏野菜と、秋冬野菜の端境期で、畑で収穫できるものが少ない。特に、ぼくの大好きな葉物が、乏しい時期である。

しかし、今までのこの時期のひもじい経験より、そのことを見越して、空芯菜、モロヘイヤ、つるむらさきを、春に蒔いておいた。この時期の貴重な、葉物野菜の収穫だ。でも、今年はどうしたことか、ツルムラサキの成長があまり良くない。いつもは、できすぎて困るというのに。トゥルシーに花がついているのを見つけたので、葉っぱと一緒に、今日のサラダに使ってみよう。

石段を挟んだもう一つの畑に行って、毎年畑の隅に勝手に生えてくる、ミニトマトを収穫。今度は、畝の方に行って、種取り用に残しているのを間違って採ってしまわないように注意しながら、オクラを収穫。手を動かすたびに、指についた先ほどのトゥルシーの香りが蝶が舞っているように、漂う。嬉しくなる。真っ黄色に熟れた、ゴーヤも見つけた。

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そう、蝶といえば、昨日、ゴマの葉にかつて見たことないほどの、大きな大きないも虫がひっついているのを発見したのを思い出した。なので、また、先ほどの畑へ戻って見に行くことに。いた、いた。今日も、昨日とほぼ同じ場所にいた。まあ、見事な食い散らかしぶりである。周辺のゴマには、もうほとんど葉っぱがついていない。昨日の時点では、採ってよけてしまおうか、でも、こんな大きないも虫からどんな蝶々が出てくるのか見てみたいとの迷いから、そのままにしておいたのだが、今日見るところには、モグモグ食べている様子もなく、動きが止まっている。もしかしたら、脱皮の準備に入ったのかな(という、もうこれ以上葉っぱを食べて欲しくないという希望と、蝶々を見たいとの希望からの憶測)。なので、今日もまた、このままにして、また明日様子を見にきてみよう。

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台所に戻って、ご飯の支度。

 真っ黄色に熟れているけど、さすがに苦いかなと思っていた、ゴーヤも、塩麹を合えたらそのままでも充分に美味しく、少し甘いぐらいだった。なので、そのままサラダのトッピングに使うことにした。

ぼくは、大根を細切りにして作る、『自称:大根そば』が大好きで、冬の畑は一面大根である。

大根愛しさのあまりに、スーパーで買って冷蔵庫に入れておいた、北海道産大根と、畑の収穫野菜で、大根そばサラダ丼ぶりを作った(畑の収穫物中心の食生活になってからは、お店で買った他地域からの野菜は、まるで、輸入食品のように特別な気持ちになる)。味付けは、シンプルに太白胡麻油と、バルサミコ酢と、塩麹。写真映えにと、バジルの葉を摘んできて、トッピングした。

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トゥルシーの香りが、見事にハマった、丼ぶりサラダとなった。

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デザートに、イチヂクの実を、木からもぎって来る。

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 貴重なイチヂクの一粒に、なんだか包丁で細かく切ってしまうのは勿体なく、そのままかぶりついてしまいたい気持ちだったのだが、それでも、やはり、お料理のお洒落心が顔を出して生きて、これまたトゥルシーの葉を刻んで合えながら、かぶりつくことにした。ひと口食べてみて思いついたので、ぶしゅ柑を絞ってかけたら、さらに香りが立って美味しかった。

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お腹一杯。

さあ、今日から始まった山形ビエンナーレの作品制作:日記に取り掛かろう。

今日から始まった、数週間にも及ぶ、芸術祭。

『暮らし』を我が総合芸術とし、日々の暮らしを日記に綴っていきます。

この日記が、作品にとして、これからどうなっていくのか、楽しみである