* 暮らしの物語  *
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 世界を旅をしてきて、こころがどうしようもないぐらいに、ときめいた瞬間を思い返してみる。

それは、世界のどんな場所であろうとも、その土地の、人々の暮らしに出会った瞬間だった。

大地に根を張り生きる姿に、畏敬の念と、安堵の気持ちを抱いた。

手の温もりが残る、質素な暮らしの佇まいに、こころ惹かれた。

人々の生きることへの信念が具現化された、暮らしの清貧さに、美しさを見た。

魂が震えた

優れた芸術には、触れたもののこころに、何かを歓喜させる力があるという。

そして、圧倒的な芸術には、創造の力を、人々のこころに呼び覚ますという。

ぼくは、人々の暮らしの中に、圧倒的な美しさを見たのだ。

そして、我が気持ちは、自身の暮らしへの創造へと、はち切れんばかりになっていた。

今の暮らしへと導いて行ってくれた、人々の=暮らし=の物語を語ります。
 
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Farmers Market
2010
in New Zealand
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いまは、パーマカルチャーを学びたく、
あるファームにお世話になっています。
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今日は、土曜日でした。
一週間に一度のお楽しみ、ファーマーズ・マーケットの日でした。

 ぼくは週末のマーケットが大好きです。顔なじみの地元の人たちと、「今週はどうだった?』と声を掛け合う、まるで一週間に一度集まる大きな家族のように感じるのです。素敵なローカルのコミュニティーが、ここにはあるようです。地域の人々とのつながりの楽しさ、大切さ、ありがたみを、マーケットにくるたびに感じるのです。そのことは、ファームの一員として、出店者側で参加させてもらったことで、より強く感じるようになりました。このマーケットでの時間があるからこそ、日々のファームでの作業にも気持ちが入ります。そして、一週間の終わりに、マーケットでその週の野菜の収穫を並べることは、人々との繋がりから、野菜の収穫からの、さらなるこころの豊かさの収穫を得られるのです。マーケットは、14時過ぎ頃にはおしまいとなり、ファームに戻って片付けをし、土曜日のゆったりとしたディナーを皆で過ごします。翌日の日曜は、各々に休日を取ってリフレッシュ。そして月曜日の朝から、また、新たな一週間を迎えます。

 果物や野菜を売るための袋は、ゴミを出さないために、新聞紙を折り畳んで作ります。オーガニックのクレープを作って売ってもいるのですが、載せるお皿は、ファームに生えているバナナの葉を切って作ります。金曜日の午後は、みんなが畑作業の手を止めて、この包装紙を作る作業で終わってしまいます。お店に行って、紙のお皿に紙袋を買って来たら、それで済むお話しなのにね。しかし、だからこその、こうした「ぬくもり」が、ファーマーズ・マーケットの魅力なのでしょう。人々は、その付加価値に、わざわざ町からも車を走らせ、いつものスーパーを脇目に通り過ぎ、郊外を目指してここまで来てくれるのでしょう。

 お野菜たちを挟んで、生産者の方々とお話をして、野菜を買えることは、野菜に一つの物語のしおりをつけてもらうよう気持ちです。野菜にこころを寄せられること、それは、家に連れて帰って、料理をして食べることを、いつもより、こころが通った特別なものにしてくれます。その一連の気持ちは、こころの滋養となります。生産者とお話しが出来なかったとしても、立ち振る舞い、土に汚れた爪先、大地のような笑顔、その存在を感じるだけでも、彼らから手渡される野菜たちとの物語が紡がれていきます。子供たちがはにかんだ様子で、店番をしている姿など、もう最高です!何か、遠い未来まで、明るい気持ちになります。

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お客さんが使った後の、バナナの葉のお皿は、わざわざこちらで引き取らせてもらいます。それは、町のゴミ箱に投棄されるのが、なんとなく、気持ちが悪いからです。ファームに連れて帰って、コンポストにいれて、土に戻したいのです。コンポストは、何ヶ月後かには、堆肥となって畑の肥料となります。パーマカルチャーの原則にある『自然の中に無駄にするもの、捨てるものは何一つない』ということを、実践しています。

人間のおしっこやうんちも、同じですね。コンポスト・トイレに用を足して、ミミズや微生物が分解するのを助けてくれ、これをまた土に戻してあげます。自然な分解のプロセスの中にあれば、ぜんぜん嫌な匂いもしません。滞りが生まれた時に、腐敗して、嫌な匂いがしてしまうのですね。水洗トイレの様に、用を足すたびに、ただ、うんちやおしっこをパイプへ流すためだけに、大量の水を無駄にすることもありません。

畑から野菜をとって、食べて、排出して、堆肥にして、畑に戻して、野菜や果物が育つ。循環していて、何も無駄になるものがありません。気持ちも循環して、広がり、育っていっています。

畑に化学肥料をまいて、野菜を育てて、食べて、水洗便所で用を足して、下水で流して、その先は・・・? このシステムだと、土も水もどんどん汚染されていきます。この滞りに、気持ちもギュッっと、堅く小さくなっていました。

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『 空気、水、土 』

自然は、すべてのいのちが育まれていくために必要なものを、持続可能なシステムで持って、無償で与えてくれています。

ただ、委ね、搾取ではなく享受する。

そうした生き方の、心地よさを学んでいます。

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こういうことを、ニュージーランドに来てパーマカルチャーを学ぶ度に、『こんなの、昔の日本の人たちが、当たり前にやっていたことじゃない?』と強く思うようになりました。それは、ニュージーランドが歴史的にまだ新しい国だということ、日本には伝統があり偉大な先人たちの知恵があることを、実感するのです。

一緒にファームにステイしているニュージーランドの友人は、『君は日本に生まれてラッキーだね、伝統から学べるものね』と言っていました。この言葉は、日本で生まれ育った自分のアイデンティティーへ対して、新たな認識をもたらしてくれました。ぼくにとって、とても意味のある言葉です。

日本に帰ったら、昔の暮らし、伝統の知恵をもっと知りたいです。おじいちゃん、おばあちゃんが、まだ元気なうちに、いろいろとお話を聞いて、学びたいです。

そう、マーケットでは、お店の人同士で、物々交換をよくしていました。お金を介してのやり取りより、お互いの気持ちが伝わってきて、なんだか、とても気持ちがいい!もし、自分の必要な量よりもたくさん持っていたら、それを地域で分け与えたら、どんなにお互いを助け合えることでしょう。物や食べ物じゃなくても、技術とかでもいいと思います。

こちらに来てから、これからの自分、地域、地球と、どうやって生きていくのかとモクモクと想像をしながら、日々、=暮らし=を学んでいます。