* 暮らしの物語  *
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母なる教え
ーcommunityー
2004
in North America
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昨日の日記で綴った『コミュニティーの在り方』から関連して、ある夏の記憶を思い出しました。

アメリカのネイティブの人々を訪ねるために、馬旅をしていた中米・グアテマラからヒッチハイクを重ね、アメリカ北部サウスダコタ州を目指した、夏の記憶です。

バージョン 3

 サウスダコタを目指した目的は、夏至の日に行われる、ネイティブ・アメリカンが呼びかけ人となり、世界中の先住民たちが集い、世界平和を祈るというギャザリングに参加するためでした。そのギャザリングの縁で、その夏至の始まりからの一夏を、地元のネイティブ・アメリカンの人々と一緒に過ごす機会をいただいたのです。

 
 夏至を境に、太陽が強さを増して行くこの時期。それは、彼らのセレモニー(儀式)・シーズンが始まったことを、意味していました。グアテマラで出会い、一緒に北を目指したぼくたち日本人の仲間は、本当に光栄なことに、ほとんどの時間を、セレモニーが行われる彼らの聖地で、キャンプをして一緒にすごさせてもらったのです。セレモニー時期ということもあってか、週に何回も、憧れであった、スエット・ロッジに入らせてもらいました。そう、ぼくにとって、ネイティブ・アメリカンとは、憧れの存在だったのです。母なる地球の教えを代々守りながら、自然と調和して生きて行く知恵を携えた人々。日本で悶々とした大学生活を送っていた頃、本屋さんや図書館で「インディアン」という文字が並んでいるのを見ただけで、こころにパッと希望の光りが灯される思いでした。特に、「リトル・トリー」というインディアンの少年を綴った本は大好きで、何度も読み返しました。そして、大切な友達たちにも、何冊もプレゼントしました。あの夏、ぼくは本の中のヒーロー達と、そこに綴られているような日々を、共に過ごしたのです。

〈〈〈〈 : 以下の、彼らの儀式についての見解は、あくまで自身の個人体験から綴ることを、ご承知ください。ぼくの、彼らに対する浅はかな知識で、彼らの神聖なスピリットを文字化することには、幾ばくかのためらいがあります。これは、あくまで、彼らが差し出してくれた様々なギフトを、我が手で受け取り、自分なりに消化して、昇華して、出てきた、自身の経験からの言葉です。: 〉〉〉〉

スキャン 3 (1)

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 スエットロッジは、さまざまな用途で行われていました。『清めの儀式』と言われるだけに、儀式の前に心身を清める為に、多く行われていました。ぼくも、夏至の世界平和の祈りのギャザリング中に、スエットロッジに入らせてもらったのが、はじめての経験です。


地面に突き刺された何本もの枝で組んだドームには、毛布がかけられ、小さな入り口から、四つん這いになってドームの中に進む。裸になって入ったドームの中では、男女に別れて、肩と肩を触れ合わせながら、円を組んで座る。その中央に、地面が掘られたくぼみに作られた、ファイヤー・ピットがある。そこに、外で何時間も焚き火の中で熱せられた、幾つもの石が運び込まれる。そして、チーフが入り口のすぐ脇に陣取ったところで、入り口の幕が下ろされる。それに続くは、全くの闇。視力を失ったことに、他の感覚が開いていくことを、感じる。そして、チーフの呼びかけとともに、石に水がかけられ、それは、一瞬として蒸気となり、敷き詰めあった、男、女、子供、青年、大人、老人たちの身を焦がしていく。したたる汗、時に、苦しみをともなう熱さが襲ってくる。その苦しみを、一同に耐え、歌い、祈る。一体となって、乗り越えていく強さが、スエット・ロッジに満たされていく。そして、再びのチーフの号令によって、スエット・ロッジの外からサポートしてくれている者たちが、入り口の幕を上げる。光が差し込み、冷気が流れこむ。再び、地面を這って、母の子宮と称されるその小さな出口から外の世界に帰ってくる。生まれ変わりの瞬間。この生の喜びを、そこの者たちみなで、共有する。


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 このスエットロッジの儀式をとおして、火・水・空気・大地・光という自然のエレメントを、よりリアリティをもって感じずにはいれません。


 火によって熱せられた石と水の鮮烈な交わりによって、水分は一気に蒸気として空気に放たれ、ぼくたちの身を包んで行く。熱せられた空気は、息を吸い込むことも辛いほどに。自ずと、その蒸気から逃れるために、より新鮮な空気を求めて地面に身を這いつくばる。衣服を解き放った肌に、直に、全身で感じる大地の感触、ぬめやかな、その優しさ。ラウンドのごとに幕が開けられ、暗闇に光りが差し込む、光のある世界に戻っていく。蒸気に圧迫されたドーム内に、外の冷気が滑り込んでくる、いつもの空気を吸えることの、ありがたさ。そして、4ラウンドを終えてドームから出てきたときに、再びこの世界に、みなと共に、待っていてくれる人びとの元へ戻ってきた、喜び。この世界への、溢れる感謝。自然のエレメントが、我が身とスピリットを浄化してくれたことの、確かな実感。


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 時に、スエットロッジはコミュニティを育むために、村のみんなで入ったりすることもありました。石を燃やす火の番は、若い青年がチーフに任命されます。青年は、他者の浄化の手助けをできることを、誇りに思い、とてもとても長い時間、火を絶やすことなく、守り続けるのです。スエットロッジの中では、村の老若男女の人びとが一同に肩を寄せ合い、肌と肌を触れ合わせて座ります。


 そして、幕が下ろされる。ラウンドが進み、チーフの導きによって、トーキングスティックを与えられた者の、祈りの言葉が発せられる。そこにいる皆々は、ただ、ただ、黙って、一人一人の祈りの言葉に耳を傾ける。それは、時に、我が子が無事に育つことを、グレートスピリットへ感謝する、母の言葉であった。「この子が、健やかに育っていることに、感謝します。これからも、この子が、健康でありますように。そして、彼のスピリットが、大きく育っていきますように」。母の愛の言葉を、隣でじっと聞いていた幼き子に、トーキングスティックが渡される。その幼き子は、「お母さん、美味しいご飯をいつも作ってくれてありがとう。これからも、ずっと元気でいてね」と、緊張した声で、その祈りの言葉を口にする。大人たちが一同に集まったその前で、小さな男の子は、立派に気持ちを言葉にした。その様子を大人たちは、少年にも届かぬ小さきその子を、一人の人間として見守り、その言葉を全身全霊で、沈黙とともに聞く。暗闇にも、人々の聴く意識は、確かに感じる。この、リスペクトを伴った沈黙の傾聴が、子供たちを、一人の人間へと育てていく、コミュニティーの意識なのだ。


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 ぼくは、このようなコミュニティーの育み方を、直に肌に触れ、こころが震えた。この一夏で、どれだけ、こころが揺り動かされたことだろう。このような伝統が、彼らの個としての、そして、コミュニティーとしての強さを、育んでいくのか。本の中のストーリーを、なぞるような気持ちであった。この「強さ」とは、彼らの「こころの大きさ」と言っても、よいものであった。

バージョン 3