ちよとの出会いは中米・グアテマラ。
トロピカルなアボカドの木々が生い茂る湖の村。
裸足で歩き回り、裸で泳ぐ日々。
そんな村に、ある日、黒いロングスカートに黒い革の編み上げのブーツを履いた日本人の女の子がやってきた。原色の自然一杯の土地に、黒のいでたちはとても不自然に見え、それが逆にとても印象的だった。
一昨年までこの村で一緒に暮らしていたイスラエル人の女の子シャニー。彼女はキューバに音楽留学をしにいっていた。そのシャニーが夏休みで、一緒の音楽大学でピアノの勉強をしているちよを連れてグアテマラに帰ってきたのだ。
ちよは、何も分からずシャニーに未開の地につれてこられた様子。
寒そうなので僕がずっと旅で持っていたブランケットをかしてしてあげた。
『このブランケットに包まっていると、安心するね。』と言っていた。
シャニーとちよと僕たちは仲間と一緒に、湖の向かいの人の一杯居るにぎやかな町で、ショーをやった。ちよは日本人からきた女の子ということで、安易にも、白塗りに着物を着て演奏をした。


お別れのとき。
ちよはこれから一人で、はるか遠くにあるMayaの遺跡をみに行って、キューバに帰ると言っていた。未知のグアテマラの地での一人旅にとても心配そうだった。
ちよに、『夜は冷えるし、これがあると安心だから、このブランケットこれからの旅のためにもらっていってもいい?』とお願いされた。
旅人にとってブランケットは必需品だ。ぼくはまだまだこの先も旅を続ける予定である。しかもこのブランケットは僕の1年の馬旅、その後のアメリカでのネェイティブ・インディアンに会いに行った旅、ずっと一緒にいた思い出一杯のブランケット。正直『えー、隣町で、Mayaのおばちゃんたちが一杯お土産でかわいいブランケット売ってるから、それを買ったらいいじゃん・・・。』と心の中で思った。
ぼくは断った。
けど、ちよにはこのブランケットが特別な用である。。。
船着場での別れ。
船が着くまで、あと何分かあるようだ。
僕の心の中にネェイティブ・インディアンから教わった言葉がずっと響いていた。
『もし誰かが、自分よりそのものを必要としているなら、あなたはそれをその人のために手放しなさい。』
ぼくは走って家に帰り、船がでる間一髪のところでブランケットを渡すことができた。
なんか、嬉しかった。

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その後の旅で何度、『あーあのブランケットがあれば。。。』と思ったことでしょう。(未練がましいですね、執着です、、。)
ネェイティブ・インディアンの言葉には続きがあります。
『もしあなたが本当に大切にしているものを、人にあげることをできたなら、あなたはいずれ、それ以上のものを受け取ることになるでしょう。』
この言葉は本当です。
今まで何度これを実感したことでしょう。
もしかしたら、何か別のところからお返しがやってくるかもしれません。
とにかく、本当に僕は自分ができること以上のものをもらってばかりです。
もしかしたら、ちよは僕にこの言葉を実践するためのきっかけを与えてくれるたのかもしれませんね。 
ありがとう。。。。
ちよは、その後、鶴の恩返しのようにけなげに何度も何度もお礼を言ってくれます。日本に帰ってきて、ちよはわざわざクリーニングしてあのブランケットを家まで返しにきてくれましたが、『でも、やっぱりこのまま持っててもいい?』と言って持って帰ってしまいました(笑)。こんなに大事にしてもらえてぼくもとても嬉しい思い出いっぱいです。
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そんなちよがピアニスト Chio Allin としてCDデビューしました。
そして明日、青山の月見ル君想フでコンサートをします。
ぼくはちよのおかげでピアノの音がとても好きになりました。
ちよのピアノは、日本とキューバの感性がまじった独特の音楽。
こんな音楽を聞かせてもらえるなんて、なんて贅沢なお返しなんでしょう。
明日が楽しみだ。