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執筆よーいスタート。



 この週末は、春の風光に、吹かれ照らされ、外仕事に従事した。ここ最近は、ミツバチや虫たちの動きと同じくに、忙しない足並みで、旺盛な草たちを押しのけ、駆け回っている。そんな中、畑や野山に新芽の誕生を喜んでいたのも束の間のことで、その初々しい赤ん坊たちの姿は、なんだか、日に日に穴ぼこだらけになっていく。植物たちの赤ちゃんの誕生に喜んだのは、ぼくだけではなかったようだ。虫たちも待ちかねていた。あちらこちらで、食欲旺盛な育ち盛りの幼虫たちが我先にと、ムシャムシャとかじりついている。

 春の虫問題は毎年のことなので、毎年色々と考えるのだが、今年は実験に、虫の出現より早いタイミングで、すでに逞しく成長した苗を畑に登場させたらのならどうなるのかと思い、春先いちばんに店頭に並んだカボチャとズッキーニの苗を買ってきて畑におろした。しかし、そこにもやはり、ここ数日、かじられた跡がある。橙の輩・ウリハ虫が飛来している。ブンブンブン。おい、おい、おい。それに比べ、ミツバチのブンブンブンは、花粉を集め、なんとも愛らしい。ミツバチの豆粒に生毛が生えたようなプックリとしたフォルムと、可憐な花々が合間って、なんとも可愛らしい印象を受けるのだろうか。人間様と食事の趣味が異なるのも、厄介者に思わない原因なのかもしれない。はちみつも好きだしね。兎にも角にも、虫たちも、ミツバチも、そしてぼくも、それぞれに、食料確保に必死なのである。「兎にも角にも」と書いたもので、ウサギから始まって、アナグマ、ハクビシン、そして、鹿や猪、などなどの動物たちがまだ参戦していないことを思い、ホッとしているし、彼らののことを思い出し、ギョッともしている。兎にも角にも、食を得ることは、生きているものたちの本能なので、いくら「やめろ」といってもどにもならぬことである。それならば、ある道は、共存ですね。

 とはいっても、ここ数年のぼくは、以前ほど野菜作りに躍起になっていないのも事実であるような。ここにもう8年も住んだ結果、見放されていた畑は再び地力を回復し、生産性が上がってきたので以前ほどの労力は必要ないということか。生産性といえば、自身の畑力も上がってきたのかな(と言いつつも、「野菜を育てるって、まだまだ、よくわからないよなー」との自己評価の声が)。そして、今までのように畑一面に野菜を育てても、食べきれない以上にできてしまうことが事実としてわかった。それでも、やはり、春がくれば「種をまかなきゃ」と沸き立つ思いになるのも、また確か。その気持ちはどうしたものかと思えば、種まきには食料補給とは別の、「いのちを育てる喜び」も含まれているようである。種をまき、発芽した様子発見したら、そりゃ嬉しい!

 そんなことから、最近は畑の労力を庭造りに回し、お花もよく植えている。近所の知人たちと会えば、お互いに、暮らしの近況を報告しあうのだが、春といえば畑仕事がいちばん先の話題となる。ぼくは、「なんだか野菜よりも、お花に熱心だよ」と述べる。「お花」との言葉の気恥ずかしさにか、「花は、こころの栄養だからね」と冗談を付け加える。冗談も言い続けていると、なんだか本当のことになってくる。確かに、花たちのその姿は、こちらを微笑ませ、こころの滋養なのだ。花が、可憐にも健気にも咲く姿を見つければ、その日一日を過ごす元気をもらう。まさに、活力につながっている。活力を得るといったエネルギーの意味では、食料摂取と同じ目的た果たされているのではないか。栄養にも、様々あるということか。体のそれぞれの階層(心身神)に見合った、それぞれの栄養があるということか。この点でいったら、人に対する親切もそうだな。親切とは、「無私の奉仕」と呼べるような行為なのだが、結局は自分であって自分に得るものがたくさんある。人を助け、その結果喜んでもらえると、やはり嬉しく、こちらのいのちもいきいきとする。親切も生きるエネルギーにつながる行為だなと。

 さて、ここまできたところで、再び虫さんたちのところに立ち戻って考えてみる。はて、虫たちも、植物を見て愛でることから、栄養を得ているのであろうか?これは、人間特有なものなのか?特有というのは、存在が内包している心身神の位相の違いなのか?しかし、花の意図としたら、花を咲かせ他者を魅了し種の繁栄につなげるということなのだから、ミツバチが受粉して廻るのも、ぼくが花を植えて廻るのも、花にとっては一緒の存在なのか?それとも、花は見つめられ、嬉しいと感じているのだろうか?それで、あんなにも、ポッと紅く赤面しているのかしら?

あ、タイマーがなった、日課の執筆時間、終了。ということで、まだ、書きたいことがあるのだけど、今日のエネルギー論文は、ここまで。

 最後に、「無私の奉仕」と出たところで、言葉遊びに(ダジャレ好きやねーん)「虫の奉仕」と置き換えまして、虫とのエネルギー論を、虫の親切性を、この後の外仕事に考察してみます。