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 3月になりました。黄色い菜の花が、畑一面に咲いています。菜の花の間を通り抜ければ、とっても濃密香りがしてきます。なんだか、蜂蜜を思い出します。黄色だからもありますかね? そういえば、まだ蜂の姿は見かけないですね。

 昨日、一昨日ぐらいからの春爛漫の陽気で、木々のお花の蕾が一気に膨らんだり、開いた気がします。いま、庭先では、ボケの淡いピンクのぷっくりしたお花がなんとも可愛らしく咲いています。土佐水木の花も、今朝一番にひとつふたつ花を咲かせているのを見つけました。裏山の雲南三俣は、満開です。まるで、打ち上げ花火のように、黄色い花をつけて枝を球体状に広げています。

 どれもこれも、ぼくがここに越してきてからのこの10年で、いずれ花が咲く日を夢見て、未来のことを思いながら植えた木々たちばかり。思い描いていた花が咲く姿に出会ってみれば、なんとも、あの時の未来がこの手の中にやってきたようで、不思議な感じです。自分の意思から全ては始まっていて、手を使って種をまいて、苗木を植えて、日々の水やりをして。そして、こうして、開花、結実していくことの、植物たちみんなでの営みに、自分のこの土地の役割を感じるような、そんな、この土地に住み始めてから、まる10年経った春の思いでした。

 それにしても、どうして、野に咲くお花を見ると、人のこころはこんなにも、嬉しくなってしまうのでしょう。

 さて、次の10年後は、ここはどんな姿になっていることでしょう。自分自身の姿も、だいぶ変わっているでしょうね・笑。この10年でも、だいぶ渋み増しましたものね。

 そうそう、3年前の春に、世界が一変したような思いの悲しい気持ちの時に、四万十川沿いに咲く桜並木の風景に、本当にこころ癒されました。しかし、その桜も、むかし、むかしに、誰かの素敵な思いで植えてくれたおかげで、その姿があるのだなと。そのおかげで、何十年後のいまのぼくのこころにも滋養を与えてもらっていることに感謝の気持ちがいっぱいになりました。そうか、そうか、誰かのための遠い未来とはそういうことで、ぼくも、自分のしたことの成果をどれだけ自身で享受できるかわからないけど、もっと遠い未来の喜び分かち合いのことを考えて、桜の樹を植えたいと思いました。そして、何本も苗木を買って、自分の土地に植えました。どれも腰丈ぐらいの桜の苗木だったけど、いまは、ぼくの背より大きくなっていて、そして老後には、大きな桜の木の下でお花見することを思い描いてます。

 春の陽気に浮かれています。