日記2日目 

 朝から風が強い。これが、春一番というの名前の風なのかな。風も名前がついていて、よいものだ。名前がつくと、親しみを感じる。“Mr.春一番さん”が、また、一年を一周して戻ってきたのだね。


 やっと暖かくなってきた日和に、体がずいぶんと緩んできて楽である。草花木々と同じように、お日様に、うーんと手足を広げて伸びをしています。もう、この冬は本当に寒くて、冬の間中、寒さに体が強張っていたものな。寒いのは、疲れる。「古民家は寒いなー」とつくづく思ったもので、まあ、お勝手を大改装中で、壁も天井も取ってしまっているのもあるけれど、とにかく寒い。こりゃ、いつまでこのような暮らしができるのやらと、骨身に染みて切実に思ってしまうわけで、もう体が資本だから体をしっかり養生していかないと。 移住10年目の感想である。


 そうそう、日記を書き出した(と言ったからには、しばしは続けていこと思っている)のは、やっぱりなんだろう、書きたいという衝動があるようだ。この衝動については、これからどういうことなの考察していきたいが、書くことの効用として書くことで頭が活性化され、考えがしやすくなる。そう、以前に気づいたのは、書くことを習慣化していると、本を読むこともスラスラとできるようになる。ぼくは普段あまり本を読む人ではなく、文字を読解するのになかなか時間がかかるし、読解力にもかけるのだけど、自分から文章を書いていっぱい考えを絞り出しておくと、絞ったスポンジのように、他人の文章もごくごくと吸収できるようになる。ここ最近、本を読んでも、なかなか体の深層部まで言葉が染み込んでこない感じがあって、それは本の文章の良し悪しではなくて、受け取る自分の環境のせいかもと自覚して、ちょっと自分から文章を書いて、言語消化吸収排泄の環境を整えてみようと思った訳である。そのための、日記かな。 

 日々がどれだけ鮮やかに実感できるかも、まさに内面を反映しているのだろうな。「たいくつだなー」「つまんないなー」と言っているのは、なんだか心が濁っている状態なのかも。濁っているとの表現は、情報に触れすぎて消化不良状態の自分を言っているのだけど、それをどうにかしようと、今年になってから携帯の契約を変えて、i-phoneをガラケー状態にして、自宅でのインターネットをやめたことが、ようやく自分から何かもっと表現したいという活力を取り戻してきたような。ね、食の断食をすると何も食べていないのに内側から活力が湧いてくるように、情報も断食すると内側から何か表現したいという気持ちが湧いてくるのが、人の自然の営みのようです。内側からは常にその表現欲求の動きはあるのだけど、どんどん外から情報を入れてしまっていて、出口を塞いでしまっていた感覚かな。他にもインターネットをやめたことの変化の気づきがいっぱいあって、いっぱい綴れるけど、どれもネガティブ面からスタートしての論述になってしまうので、なんだか今はこれ以上否定から入る考察はする気持ちにならない、と言うか、しないように勤めたい、というここ最近の心境なので、もうちょっと寝かせて発酵させてみよう。


 うん、日記2日目、昨日よりキーボードを打つ手が思考のスピードと連動して、スラスラと書けている。日記とは、日常の輪郭をなぞって、出来事を際立たせていくような作業でもあって、よって、さらに今日はもうすこし世界が鮮やかに目に写っているよ。