4月16日(土)・晴れ

雨上がりの、爽快な青空だ

これぞ、四万十川

四万十川の清涼感に、満ち満ち溢れた朝だ

 昨日、せっかく友人が訪ねてきてくれたのに、あいにくの雨で残念だったなと、四万十の気持ちよさを紹介しきれずにいた思いだった。なので、今朝の晴れは、尚更に嬉しい。きっと、四万十川沿いでキャンプして一夜を過ごしたその友人も、これ以上にない爽快な朝を迎えたことだろう。

雨降れば、晴れる

雨の一日も、四万十川

晴れの朝も、四万十川

 今朝は朝一番から、一年に一度の集落の川清掃の日だった。田舎の人はなんとも行動が早いもので、朝7時の集合と言ったら、もう6時半には集まり出して仕事を始めだす。なので、今日はそのことを心得て、ぼくもずいぶんと早くに家を出た。

 朝一番の外でのひと仕事は、とても気持ちよかった。そして、みんなで一緒に作業して、より気持ちよかった。それは、久々の集落の人々一同が集まってのひと時を、楽しむ時間でもあった。おばちゃんたちと「いつも川を上からは見ているけど、なかなか川原までは降りてこないものね」と、話しながらゴミを拾った。そういえば、おっちゃんらはそのようなコメントをしていなかったと思うと、やはり男性陣は釣りで、川原は馴染みの場所なのだろう。

 こうしていつまでも、「おっちゃん」、「おばちゃん」と言うけれど、久々にこうして時間を一緒に過ごしてみると「みんな歳をとったなー」と思わずにはいれない。以前は背筋がシャン伸びて歩いていた姿が、随分とヨタヨタと歩いている。ぼくが、ここに越してきてからもう丸10年だ。みんな歳を取るわけだ。僕自身も10才歳をとったことだし。おばちゃんたちは川原の岩場を歩いて超えていく度に、「ヨイショ、ヨイショ」と言っていた。それでも、やはりこの土地で育ってきた人たちが体得している身体感覚で、ぼくなんかより自然体で歩いていた。この人たちにも、この土地の姿・在り方が潜在している。

 田舎に暮らしたいとの気持ちは、自然に学びたいとの思いが強かった。しかし、人から学ぶことも、この土地の大きな自然と歴史に対峙していることだと、改めて思った朝だった。ついつい、自分一人で山に籠って、自然と向き合いたくなってしまう傾向の自分だが、何か、もう一つの流れに意識のチャンネルを合わせることもできるのではないかと、感じる朝だった。