7/25 Mon.

晴れ

 今朝は、夏の日課に変えて、朝一番に畑仕事をした。朝9時まで草むしりをしたものだが、汗をびっしょりとかいた。草の中から小玉のかぼちゃを何個か発見して、たいそうに喜んだものだった。というのも、五月、六月とすっかり留守にしてしまった畑は、もう一面草に覆われていて、作物も草に負けてほとんどがその姿を失くしてしまっていた。そのことに、しょげ込んでいた。

 久方ぶりに家に帰ってきて、その草の様子にたじろぎながらも、作物への未練から畝の前にしゃがみ込んで、丁寧に手で一本一本草を引いてみたものだが、作物がほとんど残っていないことをようやく承知して、いっとき諦めていた。そうこうしているうちに、コロナで倒れて、寝込んだ。寝込んでいても、草ボーボーの畑の様子は、ずっと気になっていた。熱も引いて体もようやく動くようになってきて、気持ちの鬱憤も晴らしたかったのか、とにかくスッキリさせたい気持ちが優って、病み上がりに草刈機を持ち上げて、一気に畑の草たちを刈り上げた。もう、潔く畑一面一気に刈り上げるつもりだったが、里芋、生姜、ズッキーニ、かぼちゃ、菊芋、ヤーコンだけは、株がしっかりと残っている様子を見せていたので、そこは、一気に行ってしまいたい衝動を抑えて、手刈りをするように残しておいた。

 そんなこんなの、今朝の畑仕事であった。 病み上がり後、なんだか、やる気がでないでないとばっかり言っていても、どうにもならないので、朝一番に体を動かせば気持ちも動くかしらとの意図もあった。近頃では、日差しが強過ぎて、畑仕事なんぞ日中にはできたものではないとの思いもあった。

 9時までには、やりたかった草刈りが終わった。畝がすっきりとして、こちらの気持ちもすっきりとした。他の畝は、夏の作物がまったくない寂しい状態なので、もうこの夏は諦めることにして、いまから畝を十分に耕してマルチをたっぶり敷いて、秋に備えようか。土にも、たまには充分に休んでもらうのが良いかもしれない。明日からの仕事だ。こんなに季節を先取りして準備することがないので、よい機会かもしれない。『季節先取り』、佳い言葉だ。田舎暮らしは、日々の営みに精を出して、季節に足並み揃えて、もしくは季節先取りの待ち伏せしておくぐらいでいると、それは美しい調和の旋律が聞こえてきてたまらない至福の瞬間が訪れるものだが、季節から一歩二歩と後退してくると、それは、圧倒される気持ちが勝ってきて、まさに、草にでも押し倒されるような気持ちで、ノックアウトである。まさに、今夏のように。

 それにしても、自給自足をしたいと大志を抱いてここにやってきたのに、今夏の畑のありようは実に情けない。ここに暮らして10年もたって、こんなに大失敗したのは初めてのことだ。大失敗と言っても、これだけ畑を放っておいて当然の結果なのだが。とにも、初心改めたい気持ちにさせられている。

 この夏は、改めて、ここでの暮らし方をいろいろと考えさせられる時間を過ごしている。しかし、朝一番の畑仕事は気持ちがよかった。気持ちよかったと思えたのが、今日の収穫か。汗、いっぱいかいた。汗かいて、そのまま川で泳ぐ。お昼寝してもよいかもと思いながら、今日は午後にゆらりと執筆をしている。