7/26 Wed.

晴れ

 今朝も朝から見事に晴れていて、今日も一日暑くなりそうだ。今朝は、久々にランニングをして気持ちよかった。思ったより体が動いた。四万十川沿いに、集落一周4kmのコースだ。

 畑仕事もこれからしようか。日記を書いていて思うのだが、農作業に従事していると、日記に書きたい内容がたくさん出てくる。四万十に越してきてしばらくしてから友人に宛てたお手紙のお返事に、友人が書いてくれたことを思い出す。「農的な暮らしは豊かなのでしょうね。たくやさんの文章が東京にいたその頃より、彩がより豊かに感じられます」と。その友人は、僕ではなくて、宮沢賢治の物語の登場人物にでも宛てたのかな、と思ったものだった。

 しかし、本人知らずとそうなのであろう。昨日の畑仕事の後の日記も、書きたいことに溢れて書いていたと、昨日のことを思い出す。それは、季節の移ろいの変化でなくても、何かしらの内面の変化に触れている時間であるのかもしれない。

 しかし、どうしたことか、正直なところ農作業中は、過去の嫌だったことを思い出すことが多い。過去に蒔いたむしゃくしゃとした気持ちの種が、目の前の鬱蒼とした草相手に出てきてしまうのだろうか。そういう気持ちが出てきていることを、自覚できたときは、草と一緒にそんな気持ちも抜き取れるチャンスだと、はたまた、これも畑仕事の浄化の効用かしら、と思い内省しながら作業をすすめる。とはいっても、明らかに、畑仕事をしているときに、そういった過去の惨めな記憶が出てくるのは、不思議なものだ。どういった理由だろうか。大工仕事や、ほかの作業に従事しているときにはそんなことはないのに。そこの気持ちの部分と対峙することにも、畑仕事の意味があるのかもしれない。どっかの気持ちのボタンの掛け直しで、すっと流れるような気もしている。

 いま、すっと降りてきた感覚は、より植物・野菜たちと繋がれたら、それは素敵だろうな、楽しいだろうなと。畑仕事を、『やらなければいけないこと』の認識でやっていることに、落とし穴があるのだろう。植物たちとのコミュニケーションの場を作っていきたい。