ただいま。

1ヶ月の東京滞在から四万十へ戻って来て1週間がたちました。

晩夏の1ヶ月とは、草たちがまた野生に戻っていくのに十分な時間だったようで、表の階段やお庭の草たちが通せんぼをして迎えてくれました。

晩夏と書きましたが、帰って来て二、三日はまだ夏の気配で昼間には扇風機に手が伸びるほどでした。蚊もまだまだいっぱいましたね。ただ、1ヶ月前の蚊とは違って、大きな蚊です。

それでもやっぱり寒さは確実にやって来ていたようで、今朝の突風が駆け抜けた後には、晴れ渡った高らかな空のした、秋の光に寒さが散りばめられていました。寒さとは、光の清らかさなのでしょか。空と川の間の光は特別です。

1ヶ月も都会にいたあとでは、四万十時間にまたペースを合わせるのにしばし時間がかかりそうです。砂漠の民は砂漠の横断中に、疲れていなくても休憩を取ると聞きました。物理的な移動のときには、魂が肉体に追いつくのを待つ必要があるからです。まあ、川でも眺めながら、土地のものを食べながら、魂と体が同調するのをしばし待ちましょう。。。

やっぱり故郷はいいものですね。東京育ちのぼくは、東京が故郷なのです。気の知れた友達に会って、実家で家族と一緒に気兼ねなく過ごしました。実家っていいなって、人生で始めて思ったのですよ。こういうことにありがたみを感じられるのも、新たに自分の場所が出来たからですよね。

そう、家の玄関の前の柿は甘柿でしたよ!もうすっかり熟していて、鳥にスズメバチがほとんど食べてしまったようですが。今日、柿のことで頭いっぱいで無心で柿をもぎろうと柿に手をかけたら、先客のスズメバチがその柿にいて、お互いビックリしてしまいました。スズメバチはビックリの余りか、そのまま地面にぽとりと落ちてしまいました。地面に寝転がっている様子をみると、熟した柿がアルコールにでもなっていたのか、スズメバチは酔っぱらっているようでしたよ。

樹で熟した柿は本当に美味しいですね。ぼくの大好きなマンゴーと同じ土俵で互角に渡り合えるぐらい。

柿の葉も大分色づいてきました。この夏は柿の生場をお茶にしてよく飲んでいましたので、まだ緑の葉っぱがあるうちに摘んで、冬用のお茶のこしらえをしておかなければなりません。

そうそう、9月の出発前に、種を蒔くだけ蒔いて来た畑の野菜たちがどうなっているかを見るのも、帰ってくる楽しみの一つでした。道に面して長く蒔いたソバは見事に白い花をつけて、道を賑やかにしてくれていました。「これだけの量の蕎麦じゃ粉にならないよ」とおばちゃんにいわれましたが、「白いお花が道に生えていたらきれいだと思って」と答えたら、「あんた変わっているね」と言われました。少ない量ですが、蕎麦の実ができたらスプラウツにして食べようと思っているので十分なぐらいです。畑で若葉が顔を出していたのは何種類か蒔いた大根たちです。ニンジンもわずかばかり芽を出していました。キャベツや白菜の葉物の類は、畑に残る足跡の持ち主に食べられてしまったようです。まっすぐに整えていた畑の畝は、だいぶウネウネになっていました。こんだけ見事な力技はイノシシでしょうか?ハクビシンや狸の気配も感じます。楽しみにしていた、ケールやビーツも姿を見かけません。。。まあ、これからまた種をまきます。

あなたが一番に聞きたいのは、ゲコ太のことでしたね。

ゲコ太はもういませんでした。いつものカウンターの上に、ゲコ太の大きなうんちが置いてあるだけでした。それは立派な置き土産でしたよ。手に取ってみると大分乾燥していたので、もうしばらく時間がたっていたのでしょうね。カエルと言えども、その存在に馴れてしまっていたので、いざいなくなったと認識せざる得なくなると、寂しいものですね。それでも、ついつい、棚のお皿の中や、お勝手の隙間等を覗いてしまうのですよ。困ったものですね。もう外を歩いていても、他のカエルも見かけないですものね、ゲコ太もまた冬眠したのでしょう。

ゲコ太のいた夏。

この夏も終わりましたね。

 

寒さくなっていく様子をここで感じているのも、またよいと思います。

冬の四万十も楽しみです。

 

今年の冬はとっても寒くなると聞きました。

これから薪ストーブの研究と開発に精を出します。

 

それでは、また。

 


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