ぼくの旅路:その7

番外編 3

【エゴを見つめる・ネイティブアメリカンの教え】

当時のわたし:26歳

[エゴイズム:社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方。利己主義]

 ぼくのネイティブ・アメリカンに対する知識は、ごくごく浅はかであった。ただただ、サウスダコタで行われる世界平和の祈りに参加したいという気持ちだけで、ここまで辿り着いたのである。その思いの発端は、数年前からはじまっていた。その頃、ぼくはまだ日本で大学生活を送っており、周りの大学の友人たちは就職活動に精を出し、内定が決まったと安堵の顔を並べていた。その反面、ぼくは、まだまだこの先も旅を続けたいと、就職活動は全くせず、大学内では長髪を楯にしたヒッピー気触れの浮いた存在であった。ネクタイを結ぶのはダサイと、長く伸びた髪を結んだ。旅をしたいという思いは、他者に取ってじつに漠然とした意思表示であり、そのため、親や周りの人びとに散々心配の言葉をかけられた。そんな言葉をかけられるたびに、何か自分の内からやっと生まれてきた新しい芽を、その度に抜き取られていくような気分であった。「きみの選択は間違っている、あとで後悔する、人生の先輩の言うことは聞いておきなさい」そんな響きがいつも大人たちからの心配の後ろに潜んでいたのだ。旅をしたいという意思表示、決断は、就職活動のように確かな内定をもらえるものではないので、自分も周りの人たちも「さぁ、これでひとまずは安心」というわけにはいかず、その余白の部分に「本当に自分の進む道は、これでいいのか」と自問するスペースが生まれ、自問のスパイラルにはまってしまう。そこにはまってしまうと、辛さはその力を増していくばかりであり、それが耐えられずに「やっぱり、あきらめよう」とつぶやく声がしたことも、幾度とあった。今回の旅が「大学卒業後の進路が旅」というものであったから、ここまで自分にとっても周囲のひとにとっても辛いものであったのは確かだ。いままでの様な、夏休みや春休みの間の期間限定数ヶ月の旅というものであったならば、自身にとっても「一夏の大冒険を終えて帰ってきたら、また大学生という社会的立場がちゃんと用意されている」という安心感もつねにあり、親も「今のうちに、どんどんと新しい世界を経験してきなさい、それは、将来、社会にでてからもためになることだ」と快く送り出してくれたのである。しかし、「大学卒業後も、今度は期間未定の旅に出たい」となると、いままでと話がまったく異なり、「今のうちにと言っておいたのに、今のうちの、今は、いつまで続くんだ、いい加減にしなさい!」と言われるばかりで、それに対して当時のぼくには言い返す言葉はなかった。内にある気持ちに言葉という形を与え、他者に伝えほどの強さがなかったのである。

(おっと、大学時代の心境をつらつらと語るばかりで、ネイティブ・アメリカンのお話から、話がずいぶんとそれてきてしまいましたので、そろそろ、また彼らとともに過ごしたあの夏のお話に話を戻したいと思います。ただ、大学生の頃から自分の将来についての自問がはじまり、自問を重ねるごとに苦しさ(とくに就職活動の時期に生まれた社会からの疎外感)が増す時を経て、自分で見つけた旅という我が道を歩き続けてきた結果、いまの自分はじつに幸せであり、後悔は全くないということを、次の世代の若者たちに伝えたい、そして同じように悩む、もしくは考えることをやめてしまった若者たちの力になれることが多少なりともある、というのがこの連載、そしていずれ本にしたいという思いの発端であり、自分にとっても一番アウトプットしたい重要な部分でもあるので、また回を重ねながら、このことを語っていきたいと思います。)