ぼくの旅路:その12

番外編

 

【 エゴを見つめる / ネイティブ・アメリカンの教え 】

当時のわたし:26歳

 

 

大草原にて、サンダンスの準備が始まって行く。遠くから、車が一台、また一台と、こちらに向かって走ってくるのが見える。倒れた草たちが道となり、行き先を指し示している。でこぼこ道を弾みながら緩やかに進んで来た車は、ぼくたちがここ数日踏みしめて広がったこの広場に辿り着く。エンジンが止まり、ドアが開かれ、その足は、この草原に降り立つ。この大地を踏みしめる者がまた一人。人びとは、長旅の疲れを一瞬垣間みせるも、顔を上げ、この景色を目にすれば、これからの数日に待ち受けていることへの希望に満ちた表情を浮かべる。そんな人びとの姿に、この儀式がいかに人びとにとって特別であるかをひしひしと感じていく。

人びとの数に比例して、準備の勢いが増していった。あちらコチラにティピが立ちはじめ、その周りに人びとのテントが設営された。ぼくたちグループも寝床をチーフ宅のリビングから、草原のベッドへと引っ越してきた。

スェットロッジやティピを建てる手伝いをさせてもらった際には、その構造だけでなく、そこに込められているさまざまな意味を教えてもらった。例えば、入り口は必ずどの方角を向いていて、そこにはどういった意味をもつのか、など。この大草原に建造された人工物たちは、ティピとスエットロッジだけであり、それは木の枝に獣の皮といった、シンプル極まりない自然の姿のそのままの素材だけで作られたものである。しかし、いまここで、その新たな知識をもって見つめ直してみれば、それは、この母なる地球と繫がり、その力を我が身の内で増幅させるための智慧が凝縮された偉大なる装置であることを改めて思い知らされる。

草原を一望できる丘からの景色は、グラスホッパーの言葉通りに、刻々と変わっていた。しかし、今はまだは、器が作られているだけの状態だ、これからどんなスピリットがそこに注がれるのだろうか。胸が高鳴る。

 

 

そのように準備が進んで行くなかで、ぼくのこころはずっと迷っていた。

 

「踊るのか、踊らないのか」

 

決められずにいる、そのこころ。

 

決断のためのサインが現れるのを、待っていた。