〜 TUVA後記・9/3(月) 記述 

 

『平野徒然・古今東西』

先週、一夏のTUVA滞在から帰国。

 

平野・その1

いまは、東京から神戸へ目指す新幹線の中だ。平野を突き抜ける新幹線の窓の向こうの夕焼け空に、大きな雲のウネリが鎮座している。台風が来るとのことで、西へ目指すのを一日早めた。雲が低く張りつめた層の上に、一番星が輝いている。そして、雲の下には、家々がつづく。走れど、走れど(新幹線なのだから、それはたいそうに速い)、空はつづき、家々はつづく。シベリアの友人の言葉を思い出す。彼が日本に来て、新幹線に乗って東京から京都へ行ったときのこと。彼は、東京にしばらく滞在していたものだから、街の外の自然の景色はどんなものかと期待していたのに、家々は続くものだからじれったくなって、同伴の日本人の友人に「いつ東京は終るんだい」と聞いたら、じきに京都についてしまったと。

 

平野・その2

 TUVAの大地を思い返せば、「見事に何もなかった」と、平野に草原が広がる景色を思い返し、そう呟く。車に乗って、ひとたび街や村を出れば、そこには、ただ、ただ、ひたすらに、ステップ(草原)が広がっている。目に入る人工物は、何一つない(いや、待てよ、正確にはその足下の車道のアスファルトは見事な人工物であるのを忘れていた・・・)。この景色を知った今となっては、シベリアの友人の『街と、その外』の定義が日本にあてはまらなかったのを、実感する。なぜか、すこし申し訳ない気持ち・・・。

 

平野・その3

 TUVAでの日々で朝にランニングをする習慣がついたものだから、帰国後の練馬の実家滞在中も、何度か朝一番にランニングをした。あてどなく近所を走っていると、お屋敷の壁の向こうや、ちょっとした空き地に大きな大きな雑木林が立ち上がっている場所に出くわす。「へー、立派だなー」と、ありがたい気持ちを掲げながら見上げる。欲張りなものだから、頭の中ではこんな場所がもっと欲しいと、ランニング中に出会った木々と木々の間のスペースにも、パズルのピースをはめ込んでいくかのように、新たな(いや、失われた、と言ったほうが正確だろうか)雑木林をはめ込んでいく。関東平野のこの一部には、それは立派な森があったのだろう。

 

平野・その4

そこに広がる景色に、そこに住む人びとのこころの景色。

たしかに、自然の姿は、人びとのこころの姿に作用しているのだろうと、TUVAで出会った人びとと、広大な草原を思い、考える。

今に広がる景色に、昔の景色。

昔あった景色が、いまの景色になったのは、こころの景色が自然に与えた影響か。

TUVA帰国後数日、その景色が鮮やかに残っているもだから、故郷の地にてその景色をトレースしての比較考察、電車旅。

シベリアの友人のひと言は、新幹線の車窓の景色に、新たな光りの入射角をもたらした。

平野徒然、古今東西・・・