*:::::雨風吹いて::::*

 雨風の激しい音を聞きながら、しばらくムニャムニャとして、ようやく起きて時計を見たら4時だった、寝坊だ。朝の4時に起きて寝坊と思うのだから、まあ、随分とご立派なことである。いつもは、夜の9時〜9時半の間に寝て、朝の3時〜3時半に起きるのが、この夏の日課だ。朝晩と瞑想一時間、合計二時間していることを考えると、睡眠時間の六時間と合わせて、一日八時間目を瞑っていることになるので、充分だと思う。この日課には理由があって、それは、日没後はどうやってもスイッチがオフになってしまい、あまり生産的な事が出来ていなかったので、もう、それが自分の生理的リズムだと認め、もう夜は一目散に寝て、その分、朝早く起きようと思ったのだ。朝の生産性は物凄いもので、「朝のマジック・アワー」の甘味に魅せられていくうちに、ついには、3時起きになってしまった、と言うわけである。

 さあ起きて、早速に、瞑想だ。上半身裸の姿に、長袖のシャツを着る。そう、昨日から薄手の長袖のシャツを朝晩に着るようになった。この行為は、季節のページがまた一つめくられた、象徴的な出来事に感じられた。日の出の時間も、随分と遅くなってきている。そろそろ、ぼくの一日のスケジュールも、サマータイムから時計の針を一時間後ろ戻す必要がありそうだ。そういえば、いつも朝4時前後に家の前を通り過ぎていく、早起き仲間の川漁師のおっちゃんの軽トラが、今朝は通らなかった。この台風で、おちゃんも自宅で待機しているのか、それとも川の様子が気になって、いつもより早くに川へ向かったのか。

瞑想の後は、いっときヨガをして、それから朝一番の畑・野良仕事をするのが、いつもの日課なのだが、今朝はこの台風だ、朝の野良仕事は諦めて、その分ヨガにゆっくり取り組もう。

今朝のヨガでは、いつもは深く取れないアサナ(:ヨガのポーズ)が、なぜだか出来て、嬉しかった。その喜びの瞬間に気づいたのだが、今朝のヨガの一連の時間自体も、いつもより深く静かな気持ちで取り組めている。それは、きっと、次に続く「野良仕事」のタスクを手放したことで、頭にスペースがぽっかり生まれたおかげだろう。そうすることで、いつもは忙しく頭の中で廻っている歯車が一つ抜けて、関節も力が抜けて、その結果、深いアサナが取れたのではないだろうか。こころと体はつながっている。面白い。

 これも、また、面白いことで、台風のおかげで「あぁ、いつもの仕事ができなくて、どうしよう」と思っていたのに、結果、こんな気づきをもらえて、嬉しい。物事には、常に二面性がある。いつも、その両極に気づける広い視野を持っていたいものだ。しかし、この気づきにも、やはり二面性が存在していたようで、「あ、このことを、今日の日記に書こう」などと考え始めてしまったら、静かだった思考はひっくり返り、いつものごとくに忙しい思考とともに、残りのアサナに取り組むことになった。まあ、新しい気づきを得られたということで、これも良し。

 この二面性の考え方を、現在のウィルス蔓延の社会状況に、どうやって当てはめることができるだろうか…。ぼく自身の暮らしで言ったら、自宅にいる時間が増えたのがプラスの面だ。今までは、自分が住んでいる山から外に出てしばし巡業をして、街の外貨を稼いで蓄えを作ったら、山に戻ってきて、またしばらくの間質素に暮らす、というのがスタイルだった。けど、なかなかに巡業の日々は体力的に厳しく、毎度体調を崩してしまっていたのと、暮らしが断続的になってしまうことを、ボヤいていた。そうしたら、この思わぬ社会状況の変化で、今までの働き方のスタイルは失ったが、お陰で、「暮らし」へのコミットメントを得られる結果となった。さもなければ、「仕事と旅の両立」目指して確立してきた、巡業のスタイルも存分に楽しんでいただけに、このスタイルをまだ続けていたことだろう。

最後にヨガマットに横になって、目を瞑りシャバーサナをしていると、外に聞こえる雨音が止んできているようだった。鳥たちも歌い出している。瞑った瞼の裏には、このまま青空が広がっていく映像も見えている。台風は、無事に過ぎ去って行ったことだろう。

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 さあ、ヨガも終わって気分晴れ晴れ、締め切っていた窓も開けて、さらに晴れ晴れ。のはずが、しばらくすると、また強い雨風が吹き付けてきた。慌てて、家中の戸を閉める。全然、台風は過ぎ去っていなかった。人とは、現実を、自分の都合に合わせて見てしまうものである。

朝日も登り、あたりはすっかり明るくなっている。

目下の四万十川は、すっかり姿を変えて、ゴーゴーと音を立てて流れている。

これは、しばらく、朝の川泳ぎの日課はできないだろう、残念…

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雨は、小雨になって来たので、家の周りを一周パトーロール。

畑に降りていく石段は、ボッキリ折れたミモザの枝が、通せんぼをしていた。

ミモザの枝を、とりあえず脇に避け、畑へ。

野菜たちの様子は、覚悟していたほどの状況にはなっていなかったので、ホッと胸を撫で下ろす。

再び、石段を家に向かって昇っていくと、柿の実がたくさん落ちていた。

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 その反面、ゴーヤーにヘチマは、涼しげな様子でいつもの場所にぶら下がっていた。蔓との接合部と実の大きさ重さの比率からすると、どうして、この突風にも耐えられようものかと、不思議な気持ちになる。この構造力学の質問は、こちらの蓑虫さんにも尋ねたいものである。自然には学ぶところがたくさんだ。自然から学ぶための、観察眼を養っていきたい。

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 家の裏に廻ると、谷水が気持ちよく流れていた。昨日よりも水量が増している。ぼくは、雨が降ってから谷に水が現れるまでの時間差に、なんとも言えない気持ちを抱く。その時間差は、ぼくに、雨粒の冒険を想い描かせてくれるから。雨粒が、空から落ちて来て、山の木々をすり抜け、大地と出会う。土に浸透し、そして再び、谷に湧き出す。雨粒の土の中の旅を、その時間差に思うのだ。

早速に、水タンクを持ってきて、谷水を汲む。

足を水に浸けて、水を汲んでいたら、川へ泳ぎに行きたい欲求も、すっかり綺麗に洗い流されていた。せっかくだからと、手と顔も谷水で洗おうと、屈んで竹筒の前に両手を差し出す。この一連の行為によって、心身が清らかになっていく感覚に覆われた。それは、神社で神様と出会う前の、水のお清め真意を授かったような気持ちになった。しゃがみ込んで、顔を洗っていると、周りの植物たちに水が跳ねたのか、甘酢っぱ香りが立ち込めた。香りに包まれた空間に、神様を垣間見た気持ちになった。

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ボッキリ折れてしまったミモザの枝を、整えて、土間の花瓶に活けこんだ。

家の中が、いっぺんに華やかになった。

台風で折れたりしない限り、こんなに立派な枝の活け込みはしないだろうから、これも台風がもたらしてくれた二面性なのかもしれない。

黄色い花が慎ましく咲いているこのときに折れてしまったのは、このミモザのこころ粋だろうか。

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空の様子は、だいぶ落ち着いて来たようだ。