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:::::温泉考:::::
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3時半に起きて、朝の瞑想を終えたら、一目散に準備をして、車に飛び乗り出発した。
外に出てみると、肌寒いぐらいだった。
夜明け前の暗がりを、四万十川沿いに走っていく。
今日は、このまま山を一気に降りて行って、大きな空の下、海での休日としよう。
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山での暮らしでは、特に休日という概念は無く、ただ淡々と、日々の日課を送っている。
家から石垣下に人や車が通っていくのは見えども、一週間以上も誰とも話さないということは、珍しくない。
まあ、ぼくは、一人籠って色々とやる気質なのだろう。
それと同時に、ここでの山暮らしは、それだけやることが尽きることなくあり、そして、飽きることがないのだ。全くに、自分の土地から、外へ出ていかないのである。そんなであって、あまりに車を動かさないものだから、蜂がせっせっと車体に巣を作っているのを見つけた時には、さすがにびっくりした。
そんなぼくでも、「あー、暮らしへの集中力が切れたー」と思う瞬間が、月に数度あって、そんな時は、海を目指す。
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海に行くのなら、やはり、日の出前に出発したい。
それは、暗闇から朝焼けへと、走りたいから。
時間の変移に、意識も変容して行き、とてもよいアイデアが海への道中に、浮かんでくる。
車内に響く音楽、車窓を一定速度に流れていく外の景色、うす暗がりの照度、これらの条件は、ぼくの意識を瞑想状態へと引き込んでいく。
まるで、日々の暮らしの中でこんがらがっていた考えが、海へむかう一筋の道にならって、どんどと解かれていき、一直線に配列されていく。そして、川と海がついに出会い、そこに空が抜けた時には、気持ちもパッカーンと晴れ渡る。願わくば、そのタイミングに、朝日が登って来て欲しい!
今朝は、そのシナリオには、15分遅かったようだ。海一歩手前で、朝日を拝んだ。
けど、いつもだったら山に隠れて見えない朝日だけに、朝日を拝めるのは、やはり、何とも、嬉しいものだ。
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朝の闇から光へと走る、海への道。
ぼくにとって、日常を一度離れるための、イニシエーションである。
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海へ着くと、期待通りに、台風の後で、大きな波が来ていた。
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海の休日の、もう一つの楽しみは、波乗り後に、温泉に行くことだ。
こればかりは、残念なことで、家の近所には温泉がない。
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温泉に入り、浴槽の縁に後頭部を引っ掛け、足を伸ばして、プカプカと浮きながら、ボーッとしていたら、隣のちょび髭のおっちゃんも、全く同じ格好で、プカプカと、ボーッとしていた。風貌からするに、地元のおっちゃんだろう。何だか、ぼくよりも数倍も温泉熟練者の雰囲気を醸し出していて、あっぱれなボーッと具合である。
周りを見回してみたら、あっちも、こっちも、みんなが、みんな、温泉に浸かってボーッとしている。
すると、何だか突然に、この景色は、すごいことだと思った。
日々、みんな忙しく働いているだろうに。しかし、この温泉という聖域では、誰もが、無条件に無防備に、ボーッとしてよいのである。そして、みんながボーッとしている分、こちらも、さらに、ボーッとしやすい。家のお風呂だったら、こんなに上手にボーッとできないものな。ここに集まる人同士の、ボーッとすることへの相乗効果が生まれている。
何だか、この効果は、学生時代の経験で、家で試験勉強するよりも、図書館の方がはかどったことや、
今の生活だったら、普段の家で瞑想するよりも、瞑想センターに行った方が格段に集中できるのと、同じに感じる。
その場には、その時だけの人々のエネルギーではなくて、その場の歴史を通して充填されてきた、場のエネルギーと言うものがある。
そうか、温泉は、ボーッとする、いにしえからの極意を学ぶ、道場のように通ったらよいかもしれない。
そこには、マスター達が集っている。
などと考えていたら、今日一番のマスターが、漢方風呂のところにいたのだ。漢方風呂とは、数種類もの薬草のブレンドが巾着袋に入れられ、湯船に沈めてある浴槽のことを言うのだが、その巾着袋二つを湯船の底から掬いだして、自分の首に巻きつけ、両肩の前に垂らして、ひたすらにボーッとしている、じいちゃんがいたのだ。む・む・む・・・(「えー、このご時世、衛生上、さすがに、それはダメでしょう!それ、みんなのための、漢方袋だよ」と突っ込みたくなる気持ちと、「お、もしかしたら、めちゃくちゃ気持ちいいのかも、真似してみようかな」という気持ち)。
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何だが、このボーッとの感覚は、日常の瞑想に似ている。
朝晩一時間づつの瞑想は、温泉に浸かっているような気分なのだ。
現に、瞑想の時も、脳波の状態がよりリラックスした状態に変容していると思う。
深く瞑想できたときには(それが、日常ではなかなかできないのだが)、数時間体を横にして寝るよりも、心身ともに、はるかにすっきりとした状態になる。
こうして肉体的にも、思考の面でも、クリアな状態になることで、その後の1日のパフォーマンスに圧倒的な影響を与えてくれる。
瞑想は、日常の温泉だ。
日々、温泉。
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日曜日に配信された、ビエンナーレのプログラム
のトークセッションにおいて稲葉先生が、
「当初の計画では、はるばるビエンナーレに来ていただいた方には、まず、はじめに温泉に入ってもらってから、アートや音楽と触れてもらいたいと考えていた」
「頭が緩まったボーッとした状態で、アートに触れたら違うのではないか」
と話していた。
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昼の光に照らされ、温泉にプカプカ浮かびながら、そのような芸術祭の様子を思い浮かべていた。
そして、「山形には、どんな温泉があるのだろう」と。
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あぁ、よい休日でした。
運転、波乗り、温泉、いっぱいボーッとしたな。
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ボーッとした後の明日からの、
我が芸術:ー暮らしー
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見え方、感じ方、
そして、取り組む気持ち、
どのような変化か、楽しみだ。
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おやすみなさい。
では、また明日。
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