*** 馬日記2 ***
えー、続いて馬日記・中篇です。

『コスタリカではよくレインボーをみました。スペイン語で虹はArocoiris(アルコイリス)と言います。)』

:::: 以下、現地より日本の友人たちに宛てた当時のメールより ::::

久々に日本語の打てるPC見つけました。

皆さんお久しぶりです。
馬に乗って早丸3ヶ月がたちました。
今までの経過を簡単に書きます。

 

今までで、このキャラバンには人間33人、馬40頭、犬3匹がトータルでいました。いっ時は、ウサギももいたっけかな?まるで、ブレーメンの音楽隊ですね。

/
キャラバンが始まったばかりのコスタリカでは、お金を作るために音楽とファイヤーと馬のショーをホテルやスタジアムなどでやりました。あるショーでは15人で300$稼ぎました。大体、僕たちの生活は食事だけでいうと、一日1$で生活しています。なので、これは僕たちにとってとても大きなお金です。ちなみに、ぼくはディジュリドゥとカリンバなどの楽器を演奏しています。

 

こんな風にコスタリカを馬でのんびり、のんびり、2ヶ月半かけてやっと、ニカラグアの国境まできました。しかし、国境で予想していたとおりに、馬を連れて国境を越えて行くのに莫大なお金がかかることが分かりました。一度は、皆あきらめかけたのですが、ぼくたちが国境で馬たちと残り、イスラエル人の精鋭たちがバスに乗ってニカラグアの首都まで行き、本件の責任者がいるオフィスのドアを直接叩きにいって、なんと、馬たちのためのカナダまでのスペシャル・トランジットのペーパーを手に入れて、数日後に戻ってきたのです。ニカラグア側から、本当に、本当に、特別に、45日間のトランジットVISAをもらえたのです!

イスラエルの人たちの交渉能力には、毎度、度肝を抜かれます。不可能と思っていることでも、彼らの言葉の魔法で、次々と目の前の閉ざされたドアの鍵を開けていくのです。ホテルのショーなどのブッキングも彼らがどんどんと取ってきてくれるのですよね。こうした、仲間のお国柄も実感している、キャラバンの毎日です。そうそう、馬にもそれぞれに個性があって、とても面白いですよ。


『コスタリカ → ニカラグア国境。』


『ついに2カ国目突入、やったー!!』

実は、30人近くの大所帯で始まったこのキャラバンですが、はじめの二週間で半分近くの人がキャラバンを抜けてしまっていたのです。そして、ニカラグアに入ってすぐ、さらに現存の半分の人が色々な事情でキャラバンを去りました。今は人間6人、馬10頭、犬1匹です。しかも、馬経験のある人たちは全員去り、ぼくの様な未経験者だけが残りました…。しかし、何とか上手いことやっています。今では自分たちで、馬に蹄鉄(ていてつ/馬の靴)をはかせています。ちなみに馬に踏まれたり、蹴られたりするとめちゃくちゃ痛いです。今は取りあえず、目標のニカラグアを45日間で抜けるべく、6人で頑張っています。


『皆で最後の集合写真。ここから6人での旅が始まります。』


『ニカラグア、国境近くのビーチ』

実際、この旅はめちゃくちゃしんどいです。体力的にも精神的にも。けど、ずっとこういった生活に憧れていて、日本にいる家族や彼女に、散々これがぼくがのやりたいことなんだ!と言って日本を出てきたからには、ぼくははじめに掲げたゴールに達するまでは、たいていの事じゃあきらめません。


『はー、つかれた・・・・・』

それでは、まだまだ馬に乗り続けます…。

パカパカ。

* * * * * * * *
* 日記から思い返す *
* 当時への考察 *
*   *

【Caravanの一日】

馬で旅するとはなんとも夢のようなお話しですが、めちゃくちゃきついです。

ホースキャラバンを行うことの意義の中には「石油エネルギーを使わずに移動する」、「観光産業のルートに載らないオリジナルの旅」をするということがありましたが、はっきりいって、この目的を果たすためだけなら、バックパックひとつ背負って歩いて旅する方が、よほどシンプルで煩わしくないことでしょう。一日で稼げる距離も、歩く方がよっぽど距離を稼げると思います。その根拠は、「一日の移動距離=移動スピード」ではなくて「一日の移動距離=移動に費やせる時間」だからです。朝のパッキング、馬の手入れ、そして荷を馬に乗せる作業だけでも、めちゃくちゃ時間がかかります。個人の荷物だけだったら、もう何時間も前に出発していたことでしょう(というのが、徒歩旅行の方が一日でたくさん移動できるという理由です)。移動中も、馬に乗せた荷が崩れて、歩みを止めて何度も積み直しの作業をしました(自分が積んだ馬の荷が、何度崩れたかどうかをお互いに褒め合うのが、夕食時の恒例の話題でした。一度も崩れずに一日移動できたら、それはもう尊敬の対象です)。同じくに、野営地が見つかった一日の終わりに、荷を下ろし、馬の手入れをして、寝床のセットアップと夕飯の準備を薪集めから始める作業も、相当な労力です。しかし、この煩わしさが楽しいからこその、馬旅なんですけどね。

【移動の暮らしに、こころが不安になる瞬間】

煩わしい荷造りも済んで、馬に跨り、いざ出発!中米の美しい景色の中を、馬の背に乗って移動していく時間はまさしく夢の時間です(まあ、焼き付けるような日差しに熱中症にもよくなっていましたが)。しかし、その時間も夕暮れが迫ってくるにつれて、不安に変わっていきます。「今晩、自分たちは安全な寝床を見つけることができるだろうか」という不安です。キャラバンの暮らしの中で、一番不安に感じる瞬間でした。「馬が盗まれるから気をつけなさい」という話も聞いていましたし、中米の治安面でも自分たち自身の身の安全も危惧するようなケースもあり得ます。治安面で言うと、人だけでなく、山の獣にも気をつけなさいと言うことでした。獣とは、チーターだったか、ジャガーだったか?はっきりと覚えていませんが、暗闇に動くネコ科の大きな動物に襲われないようにという意識をいつも持っていたのを思い出します。

寝場所は移動先の地元の方々にお願して、柵が張ってある牧草地に馬と共に一晩キャンプさせてもらえるのが、ぼくたちにとっての一番の理想のケースでした。一晩馬を紐で繋いでおくのは、馬にとってとてもストレスで、場合によってはロープで足を絡めて怪我をしてしまうので、なるべく柵の中で自由に放してあげたいからです。中米は、牛や馬などの牧畜が盛んでしたので、至るところに牧場がありましたが、こちらも相当な大所帯でしたので、なかなかお互いの条件が一致して受け入れてもらえる所を見つけるのは、毎回とても難しいことでした。馬を放したら、もちろん、牧場主が大切に育てていた牧草を一晩中食べてしまいますしね。

日も暮れだす前に、数人のメンバーが、いつもの通りにパッキング・ホースと共に緩やか歩みで進んでいる群から離れて、今晩の寝床のスカウティングのために先に走ります。しばらくして、今晩の寝床が見つかったとニュースが伝わってくると、どれだけこころがほっとしたことでしょう。結局、どこにも場所が見つからず適当な場所で、一晩緊張しながら野営を取ることもありました。

受け入れ先のご厚意によっては、同じ滞在先に数日滞在させてもらうこともありました。朝起きて、「あ、今日もこのままここにテントを張っていてよいのだ。今晩の寝場所の心配はしなくていいのだ」と思うのです。いつものパッキングの慌ただしい朝のタスクもありませんし、ゆったりとした朝を迎えます。この朝のどれだけ気が楽なことか。数日の滞在の間に、馬にはしっかり休んでもらって、ぼくたちもバスに乗って街へ、食料や馬の薬などの必要な買い出しに行ったり、お役所仕事を済ませたり。キャラバンの日々から、久々の街へ出るのがとても楽しかったことを思い出します。レストランで美味しいものを食べたり、映画館にいって映画を見たり、お洒落をした人々を眺めたり。そういえば、街へ行く一番の楽しみは、インターネットショップへ行って友人、家族からのメールをチェックすることでした。日本語を打てるPCを見つけるのは本当に大変だったのを思い出します(今の通信事情と全く異なりますね)。こうして、数日間の滋養を得た後に、またキャラバンは北を目指していきました。

こうした住処への安心感は、本能的に求めるところなのでしょうか。毎日の移動の大変な労力も合わせて、人々が定住したくなる気持ちの一旦わかった気がします。食料に関しては、ぼくたちは、結局通り過ぎていく先々でお金を使って食料を仕入れて自炊をするという形をとっていましたので、切実な食料への不安というものは抱きませんでした。しかし、ここで住居への不安に合わせて、食料確保の不安もあったとしたら、定住することへの利点をより感じることでしょう。

【住処と皮膚感覚】

逆に、馬旅での移動の暮らしの素晴らしさは、常に自然に晒されている感覚です。日中はとことんお日様の下、股下には馬の背中でしたし、夜はテントが一晩のシェルターです。たまに、地元の人のご好意で、牧草置き場のトタン屋根の下で寝かせてもらえることもありました。屋根があるだけでも感覚が違うのですが、そこから、部屋を与えてもらって(まあ、物置ですが)壁に守られた空間で寝れる安心感は、特別なものでした。これは、テントで野営している感覚と全く異なる感覚です。テントの薄い皮膜だけに覆われ、土の感触を背中に感じながら寝ることは、安心感で閉じてしまっている感覚を閉じずに開きながら、覚醒しながら寝ている感覚です。皮膚感覚が全くに異なります。それが、毎日のこととなってくると、もう、感覚の設定値や、物質に対する価値観も変化していくようです。この自然に取り込まれていく感覚がなんとも言えず、そのうちにテントも張らずに、星空の下でもよく寝ていました。

【お世話になったお礼に】

キャラバンのサイズが小さくなってくる程に、滞在の受け入れ先も見つけやすくなってきて、この寝る場所への不安も少なくなっていきました。ぼくには、小さいサイズのキャラバンの方があっていたようです。こちらの人数が少なければ、受け入れてくれた方々とも仲良くしてもらいやすかったですし、本当に数人だけのキャラバンの時は夕食の席に招いてもらったり、子供たちと遊んだりしてホームステイみたいで楽しかったです。人数が少ない分、大きなショーなどができないので、逆にそのことを寂しく思っているメンバーもいたと思います。ぼくたちは、こうして地元の方々によくしてもらったお礼に、地元の小学校に行って旅のお話をしたり、英語を教えたり、音楽を奏でたりしました。または、村の広場で村人みんなにショーをしたりしました。もし、自分の住んでいる町や村に突然、馬に乗った異国からの旅の一団がやってきたらびっくりしますよね。そう思うと、随分なことをやっていたものだな…。地元の方々にとっては、異国の香りを運んでくる一団とのいっときの非日常の時間を悦ぶ時間だったのかな…。ぼくにとっては、移動時の馬と自然との時間、滞在時の地元の人々の触れ合いからの暮らし・文化の学び、この二つの時間を相互に受け取れることのできる素晴らしい時間でした。

 

=馬日記その3へ、つづく=