**** 馬日記3 ****

いよいよ、最終回。
一年間の馬旅のまとめの文章です。
:::: 以下、現地より日本の友人たちに宛てた当時のメールより ::::

皆さんお久しぶりです。去年の夏以来の日本語を打てるPCを見つけました。10ヶ月間の月日(準備期間を含めると丸一年間)を経て、ついにぼくは目標を達成し、馬旅を終えました。

/
去年の3月のコスタリカでのRainbowGatheringで、グァテマラに向けてのキャラバンを作り、4月は丸一ヶ月馬を探したり、色々な準備をするのに費やし、そしてCaravanは4月の終わりに動き出しました。馬の事を何も知らなかったぼくは、体をこれでもかと体を痛めつけながら学んでいきました。



コスタリカではお金を作るためにSHOWをHotelなどで沢山行いました。

TVでぼくたちの事が紹介されてからは、行く町々で人気者になって結構気持ちよかったです。



始めは25人以上の仲間がいましたが、次の国ニカラグアにたどり着くまでの2ヶ月半の間に仲間はどんどん抜けて行きました。そしてニカラグアでの旅は馬経験の無い6人だけになってしまい、しかもスペイン語しっかりと喋れたのは1人だけです。しかしそのおかげで、今では、ぼくはは馬に蹄鉄をはかせられるようになったし、スペイン語も十分に話します。

ニカラグアはこの旅の中で一番きつかった時期です。馬のVISAが45日間だけしかもらえず、そのタイムリミットを守るために絶え間なく移動しつづけました。馬もぼくたちも毎日とことん疲れていました。水も馬のための草も無い乾燥した国ニカラグアにはタランチュラが沢山いました。タランチュラは夜中に地面の穴から出てきて、馬の足の毛を噛み、噛まれた馬は最低でも半年はまともに歩けません。タランチュラのことを知ってからは、とても神経質になりながらキャンプ地にタランチュラの穴がないかチェックしたり、地元の人に対策法を聞いて馬の足にガソリンを塗ったりと出来ることはしたのですが、結局、4頭の馬もが噛まれ、それから先の旅へ連れていくのは諦めなければいけませんでした。その結果、女子3人がCaravanをやむなく去りました。

『さいごの1枚。このあと男3人で旅は続きます。』

そしてHondurasに入った時には男3人だけが残りました。男だけというのはまったく空気が違うものです。僕たちは散々言い争いを繰り返しました。それに時にはお互いに競い合ってる気分もしました。負けず嫌いのぼくはそれが凄くおもしろかった。そして、ぼくたちはどんどん強くなっていってる実感がありました。

途中でアメリカ人の友達が加わり男4人になり、さらにグアテマラを目指しました。ぼくはこの頃、始めにぼくたちが言ったゴールのグアテマラにつく事に、何故かとてもこだわっていました。馬が怪我したら歩いてでも、グアテマラに行くのだと言っていたぐらいです。実際に、馬を怪我させてしまい、ニカラグアとホンジュラスの半分の道のり、コスタリカからグアテマラの全部の行程の3分の1を歩いたのだけど。

 

 

Hondurasでの一番の思い出は、3日間山を遭難した事です。馬が崖から転げ落ちたり、食べ物も無くなりと、本当に大冒険でした。たまに見つける山の果実に凄くありがたみを感じ、山が瞬間瞬間にどんどん表情を変えていくのを感じました。山は時に凄いぼくたちに厳しく、次の瞬間とても素敵な贈り物をくれます。

小川に掛かっている丸太の橋が崩れ堕ちる経験もしました。TABIに乗って、橋を小走りで渡っていると、突然空中に放り出されたのです。地面に落っこちて何事かと後ろを振り返ると、TABIが崩れおちた丸太の橋の間に挟まって、ものすごい形相です。すぐ様に、仲間たちとTABIを引っ張り上げようとしましたが、TABIは宙に浮いていて脚の掛け馬がないので、ぼくたちが数人がかりでロープをひっぱたところでどうにもなりません。そこで、ぼくたちはもう橋を蹴落とすことにしました。高さで言ったら、TABI自身の丈ほどの高さだったので、多分、TABIも川へ落とされても大丈夫でしょう…。橋が崩れ落ちていき、橋もTABIも下の小川にドブン・ドブンと落ちていきました。TABIは、随分とびっくりしたような顔していましたが、「あー、よかった」といった感じのホッとした表情をすぐに浮かべていたので、安心しました。それでも、TABIに怪我はないか心配しながら、道路から川底に降りて行って、TABIを撫でながら確認すると、橋に挟まった時の擦り傷がお腹に数カ所ありましたが、他は大丈夫そうです。TABIを引っ張って道路まで連れていき、一息ついてから、サドルを付け直し出発すると、TABIは先程までのことはもうケロリと忘れたように、駆け出していきました。無事に難を切り抜けてた後には、これはもうまるで、映画のインディージョーンズのような世界だったなぁ、と笑えてきました。

 

そして、ついにGutemaraの国境につきました。ここでCaravannを去った仲間が帰ってき、新しい仲間もできて、4人だったCaravannがGuatemaraに入るときには12人の大きなグループに再びなりました。


Gutemaraでの旅では僕はすでに7ヶ月も馬と旅して沢山学んできたので、新しい仲間たちのために色々と力になってあげようと思いました。少し前までは教えてもらう事ばかりっだたのに、今では教える立場にいる事を少しおかしく思い、ちょっと自分を誇らしくも思えました。月日が経てば、人も馬もCaravanもどんどん変化していくものです。

 

gutemaraでの3ヶ月の旅ではもうほとんど辛いと思う事がなかった気がします。もうだいぶこの旅になれたのでしょう。

そして、10ヶ月目にして目標だったGuatemaraで、まだCaravanはMexicoを目指して進んでいるのに関わらず、僕はCaravanを止める決心をしました。僕は満足したのだと思います。この旅に、自分自身に。そう、結局初めの目標を果たしたのは僕とアメリカ人のJustusの2人だけです。あ、あと彼の犬も。そして、ずっと同じ馬で旅したのは僕だけです。頑張ったから、最後にちょっとだけ自分の自慢をしてもいいでしょ!?

 

もちろんもっともっと話したいこといっぱいあるけどまた今度。
いつも僕のことを気にしてくれていた、みんな、ありがとうございます!!

 


ではではまたねー。


みんなのNewsも、教えてね!

LOVE

 

* * * * * * * *

* 日記から思い返す *

* 当時への考察 *

*   *

【暮らす旅へ】

キャラバンを離れた後は、もう全ての魂を使い切ってしまったかのように、しばらくは燃え尽きた状態でした。もう、移動はせずに一箇所に留まりたいと、グアテマラの湖のほとりの村へ身を寄せました。実は、キャラバンを離れることにした理由は、次のやりたいことを明確に見つけたからでもありました。それは、思う存分に創作活動に打ち込むことです。具体的には、音楽と靴作りです。芸達者なキャラバン・メンバーたちのおかげで、ぼくは馬での旅の期間に様々なもの作りの技術を学びました。それに加えて、人前で演奏したらり、道端で作品を売る度胸もメンバーのおかげで身につけていくことができました。本当の素晴らしい先生ばかりの仲間たちでした。料理を人のためにするようになったのも、このキャラバンのおかげですしね。もの作り、音楽、料理と、現在の職にもつながっていることを考えると、掛け替えのない学びの時間だったと思います。

馬旅後からは、旅のスタイルも大きく変わっていきました。大学生の頃のバックパッカー時代を含めた移動するたびから、旅先で家を借りて滞在する、暮らす旅となりました。自分の家を持てるというのは、実に楽しいことでした。生鮮市場に行って、思う存分野菜を買って、家で自炊することの楽しさ。中米の市場には見たこともない食材がたくさん並んでいて、ワクワクの連続です。市場に行くと、村々から特産品を売りに来ている先住民の女性たちもたくさんいて、人々が行き交う様子を見ているだけでもとても幸せでした。

【つくる】

 現金稼ぎのために、いつも道端でディジュリドゥでバスキング(音楽演奏)をして小銭稼ぎをしていました。そのうちに地元のミュージシャンとも友達になって一緒に音楽活動をするようにもなりました。後は、お団子を作って「日本のお菓子ですよー」と行って道端で売っていました。他に、マッサージなどいろいろな手段でお金稼ぎをしてみましたが、「食」がやはり一番人々の反応が良く、確実に現金になりました。「日本食」のブランド価値の高さは世界のどこへ行っても共通でしたしね。

 見よう見まねの靴作りも、なんと、一足も完成させていないのに、作り途中の靴を見た友人が靴の注文をしてくれたのです。友達が旅立つまでの期日の締め切りがあったおかげで、はじめての一足をなんとか完成させることができました。はじめての一足の完成に、ぼくはどれだけ嬉しかったことでしょう。友人も、とても、とても喜んでくれて、はじめにぼくが伝えていた以上の料金を払ってくれました。この友人のおかげで、自分のことを靴職人と名乗れるようになったのです。「ぼくは、靴を作りますよ」と言っていたら、その後も、同じように出会った人びとから靴の注文をもらえるようになったのです。

 このように、移動しながらではなかなか腰を据えてできなかった創作活動を、旅先の気に入った場所に家を借りて現地に暮らすというのが、その後のぼくの旅のスタイルとなっていきました。地元のミュージシャンやアーティストたちと交流して刺激を受けながら、その土地に暮らす人々と繋がりが生まれていくのも、今までの旅にはなかった感覚でした。アーティストといえば、ぼくにとっては先住民の人々の手作りの工芸品には、心ときめきまくっていました。同様に、手織りの布や、藍染工房、手つむぎの毛糸など、素朴な現地の暮らしに根付く素材を見つけるのも大きな楽しみで、その素材を使っていろいろともの作りをしていました。今でも当時作った手縫いの藍染の服を愛用しています。

【暮らしへの欲求】

こうして徐々に、旅の移動欲が満たされ、土地に根ざして創造をしていきたいという欲求へと移行していきました。

その後、暮らし全てを創造している人々と出会い、その営みの美しさに感動し、いつしか自分自身でも暮らしを創造していきたいと思うようになったのです。

これが、ぼくのいまの暮らしへと至る、気持ちの変遷です。

20110114_1363143_t