今週の手作りほうき第二弾

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・ 日々の仕事をしていて、まあ畑でも、野菜とかそれなりに育てられるようになってきて、自給できるようになってきて、まあそれなりに満足して自信もついてきているのだが、だけど仕事をするためには、あれやこれやたくさんの道具を使っていて、その道具を作った人たちがすごいなー、と思うわけです。道具なしでは何もできませんから。大工仕事なんて、まさに道具のオンパレードですよね。道具こそ、人類たる所以で、人類の歴史がそこに凝縮されているのを感じます。長い長い人間の歴史の中で、ここまで洗練されて磨き上げられてきた形なのでしょう。

 世界を旅して道具の地域性にも、心をハッとさせられます。そこの気候風土によって生み出された形というものには、味わい深いものがあって、旅の大事なエッセンスです。世界の各地で、これまでぼくが訪れさせてもらった人々の暮らしを思い返すとき、そこの人や風景はもちろんのですが、道具の質感というものが、ぼくの心の奥に響いて残っているのですよね。例えば、斧の柄が挿げ替えれていて、小刀で面出しされた削りっぱなしの跡が、日々の仕事の手によって光沢が生まれるまでに磨きこまれている細部に心が動きます。そんなこと言いましても、手作りのものは昨今ではお店に行けば作家ものやフェアートレードものなどでいくらでも目にすることがありますが、何かが違います。それは、今回、自分で裏山に入って竹を切ってほうきを作っていて感じたのですが、素材そのものも暮らしの場から得ているという繋がりにハッとさせられたのだと、その説得力に頷いたのだと、あの家族の光景を思い浮かべながら思いました。

 今週末の集落の草刈りに向けて、家の前の車道の草刈りをしていたら、竹ぼうきが壊れたのでどうしたものか。裏山に竹もあることだし、買いに行くよりも作った方が早いだろうと、山に腰掛けえんやこら。

 日々を楽しみコツは、なんでも自分でやってみる作ってみることだと、つくづく思います。ほうき作りのおかげで、今ではお庭のお掃除が楽しみの一つに。シュッシュほうきを掃きながら、色々と改良点が思い浮かんできます。明治神宮の砂利道の参拝道で目にした、長い柄の竹ぼうきで落ち葉を掃く所作の美しさが心に残っていて、今回のほうきも柄を長く残しました。次回、明治神宮に行って、ほうきや体づかいがどんな様子だったか、確認する楽しみもまた一つできました。