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台湾縦断歩行
Day 13
朝の暗がりに瞑想。
瞑想が終わった頃には、日が登ってくる。
パッキングを済ませて、出発。
一泊お世話になった展望台から、眼下の谷を見下ろす。
昨日は、夕暮れから山の中に入って歩いたものだったかが、随分と登ってきたものだ。
朝一番に森の中を歩くのは気持ちが良い。
竹藪の木漏れ日の中を歩く。
そのうちに、足元は大きな岩盤となった。
これだけの大きな岩の上を歩くのは、日常においてなかなかにない体験だ。
柔らかな土の上を歩く心地よさとも、また違う。
足の裏に感じるその硬さに、体のコアと地球のコアが響き合っている気がする。
足裏から体に違う振動を入れるのは、体の違う部分が刺激される。
それが、心地よい。
歩く地面の多様性も、日々に必要か。
ご機嫌で山中を歩いていると、向こうから山歩きの格好をした一団とすれ違い、お互いに笑顔で、溌剌とした笑顔で挨拶を交わす。山歩きの挨拶は、気持ち良い。それは、挨拶をする相手がいればこそ。
挨拶に続いて、立ち止まって話し始める。どうやら、この一団は台湾のいろいろな場所から集まった山歩き同好会の皆さまのようだ。僕が日本人だとわかると「日本のアルプスに登ったあるよ」「今年は熊野古道を歩きにいく計画を立てているよ」と、いろいろとお話ししてくれた。どうやら、台湾の山好きの人たちは日本にもよく歩きに行っているようだ。飴ちゃんをくれたり、「一緒に写真をとりましょう」と言って、みんなで記念撮影をする。おかげで、貴重な自分の歩いている姿の写真が記念として残った(自分では、あまり自分のことを写真に写そうとは思わないからね)。
別れ際に、「台中にくる機会があったら、ぜひ連絡してくださいね!」と連絡先をくれた女性がいた。歩き旅を終えて、台中に行った際に、言葉の通りに連絡をしてみると、とてもとても歓迎してくれて、台中での楽しい数日を過ごさせてもらった。日本に帰ってきた今でも連絡を取り合っていて、旅でこうした出会いが生まれるのは本当に嬉しく、人生の財産となることである。
台湾では、受け取れるコップに溢れるぐらいに人々に親切にしてもらった。その感謝の気持ちがコップから溢れると、どうやら、その溢れた分を誰か他の人に親切したくなってしまうものである。台湾を旅した結果、ぼくも、人に親切を施したい気持ちでいっぱいになっていた。こうして、親切心の循環が巡っていくのかな。
みなさんとお別れして、それぞれに逆方向に歩いていく。
先程の賑やかさから、また急に一人の静かな道へと戻る。
ぼくはいつも一人で歩きたくなってしまうが、仲間と歩くのはどんな感じかな?
「それも楽しそう」と思えてきた、今日この頃である。
それも、台湾で人の暖かさをたくさん感じたから。
*
道は、山の峰を超え、車道へと戻り、また人の暮らしの気配がする場所へと降りてきた。
車道沿いに、春爛漫と花が咲いている。
日本では見かけない花々に、異国を感じ、台湾の春の装いを感じる。
谷には茶畑が、光っている。
まだ、春の午前中の淡い光の中、野に山に人々が働く姿が、美しい。
この目に映る景色も、この土地の文化、つまりは先人が作り上げてきたもの。
旅をして新しい暮らしの景色に出会うと、気持ち過去にも旅をする。
地図を見るに本日の行程も、なかなかに長い。
勝手気ままに野宿だから、別にどこでその日一日が終わっても良いのだが、気合を入れて頑張って歩けば、夜にはご飯屋さんのある集落につけそうで、美味しいご飯を食べたく頑張る。目標があると頑張れるものだ。ご飯のためなら、尚更か。頑張って歩いた後のご飯は、なによりのご馳走だもの。
もう、暗くなってきて、普段だったらもう寝床を探していただろうに、目的地を設定していたので、暗くなってきてからさらにギアをいれて早く歩いた。これぞ、火事場のクソ力!?
もう、真っ暗になって、クタクタになって、その村に到着。
村を歩いて抜けていくと、どうやらここはちょっとした観光地のようだった。
閉店間近のご飯屋さんにたどり着き、ついにご飯にありついて食べ終わってホッとしながらも、「今晩の寝床を探さなきゃな」と思っていたら、お店の人が話しかけてくれた。
「お祭りを見に来たの?」聞かれたので、「いや、歩いて旅ているところです。今晩、たまたまここの村を通り過ぎただけ」と答えると、「あなたはとてもラッキーね。こんばんは、この村のお祭りなのよ」と教えてくれた。そういえば先程、ご飯屋さんまで歩いてくる途中に、歌声が聞こえていたので、歌声をたどると広場に到着し、その広場では火が焚かれ、4~5人の人たちが民族衣装を纏い、手を繋いで踊っていた。「もしかしたら、あれのことかな?人が数人しかいなかったから、練習か何かで、お祭りとは思わなかったや」と思いながらも、「広場でやっているやつですか?」と聞き返すと、「そうよ」と教えてきれた。
これから寝床も探さなきゃだし、引き返そうか迷ったけど、気になっているくらいだったら、せっかくだからもう一度覗きに行ってみようと、広場を目指す。
(あ、久しぶりにULの話をすると、こんな臨機応変に決断できるのも、つくづく荷物が軽いおかげだなーと思う。荷物重かった、こんな一日中歩いて疲れ果てた状態から、引き返そうなんて思わないもの。荷物軽くてよかった)。
広場を目指していくと、遠くから聞こえてくる歌声は先ほどより一層大きく、そして、広場に着いた時のその光景は一変していた。何十人もの人が手を繋いで輪になって、歌い、踊っていた。
それは、台湾の先住民の音楽に興味を持った時から「いつか出会えたら」と憧れたいた光景がそこにあった。久しぶりに鳥肌がたった。先住民の音楽を聴いてみたくて、いわゆるツーリストセンターのようなところで二度ばかりパフォーマンスとしての歌と踊りをみていたけど、その土地と繋がった儀式としてのその光景はまったくに違った。お年寄りから小さな赤ちゃん村人の家族一同に集まったその場所を、とてもあたたかくも感じた。長老のようい敬われていたグランドマザーは、見惚れるほどにきれいな民族衣装を着ていた。きっとこの日のために、一番のお召し物に袖を通していたのだろう。母の腕に抱かれた赤ちゃんも、伝統的な装いをしていた。
結局、夜が更ける最後まで、その場の空気を感じていた。
ここままだと、「もう朝になってしまって、明日歩けなくなってしまうぞ」と自分を言い聞かせ、その広場を離れた。
ヘッドライをつけて歩き、村から谷の向こう側への吊り橋を渡り、山の中腹に東屋を見つけ、そこのベンチに寝袋を広げ横になった。
もうすぐ東の空が、闇から青くなってきやしないかと思いながらも、ちょっとでも寝ておかなかればと、目を閉じる。
それにしても、歩いて旅した先に、思わぬ宝物を見つけてしまったようたあの光景だった。