すこし、時が経ってしまいましたが、4月に東京に帰ったときの思い出。

練馬の実家のお庭には、それは見事にモッコウバラが咲いていました。「その美しさをお裾分け」と、人と会うたびに、モッコウバラの花束を作ってプレゼントしました。お庭のお花を差しあげるのって、お花屋さんで買ったお花とはまた、別の気持ち、別のしつらえとなりますね。そして、お庭の緑もこの時期の、新緑の勢いに溢れていました。お庭をつくってから、かれこれ、まる4年、お庭の木々草花のおかげで暮らしがどれだけ豊かになったことでしょう。母からの電話でもいつも、「いまは桑の実がたくさなって、酵素ジュースをつくったよ」「さくらが咲いたよ」「畑には、サラダ菜が食べきれないほどあるんだ」などなどと、庭暮らしの営みと、喜びを伝えてくれます。

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このお庭作りを手伝ってくれた、石田紀佳さんに会いに行った時も、モッコウバラの花束を抱えていき、あのお庭がどれだけ豊かに成長したかを語ると、「このバラのおかげであのお庭ができたのよね」と、忘れていた記憶を、言葉にしてくれました。そうなのです、このモッコウバラの存在が、いろいろな人の気持ちを動かし、今のお庭に至ったのでした。

 

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ニュージーランドでの一年の滞在から、東京に帰ってきたばかりの頃。学んできたパーマカルチャーを、早く実践したくて仕方がなかったぼくは、コンクリートばかりの東京での生活にうずうずとしていました。「はやく、自然一杯の田舎暮らしをしたいな」と。「ああ、緑が恋しいな」と。それは、まだ寒い冬のことでした。

春が近づき、いつもの駅までの道のりにある変化に気づきました。アスファルトの切れ目に、突き抜けるような強さで、雑草たちが顔を出し始めたのです。「ああ、緑、緑」と思っていた僕には、その足下の雑草たちの存在に惹付けられました。そして、うららかな春の日差しの下に、小さなお花が咲き出したではありませんか。ある、裏道では、ピンクのポピーたちが、涼し気にそよ風に揺れています。どこかからのこぼれ種で、繁殖したのでしょうか?通りごとに、少しづつ違う、下草の生態の様子をみたくて、駅までの道をいろいろと変えてみたり。そして、少しづつ、目線を上に上げてみれば、家々の庭木にも様々なお花が咲きだしたではありませんか。下草どうよう、あの家のあの木には、どんなお花が咲くのだろうと、駅までの道のりは、それはもう、四方八方に自然観察すること尽くめです。

その中でも一番目を引いたのだ、溢れ出んばかりに壁一面に咲き乱れていた、黄色い小さなバラ。ある日の帰り道、そのバラの横を通り過ぎると、おばちゃんがそのバラのお世話をしていました。思い切って、「とってもきれいですね、なんて言う名前なのですか?」と聞いてみたのです。そうすると、そのおばちゃんも嬉しそうに「モッコウバラですよ」と教えてくれました。そして、その他のお庭の中の植物達も見せてくれました。お庭と言っても、砂利が引かれた駐車場の脇に地植えをしたり、鉢を沢山並べて、植物達を育てているような場所でした。その中にはブドウの木もあり、「結構、実がなるのよね」と。その言葉に、ぼくは「わあ!」とビックリしました。早く自然一杯のところにいって、実り一杯の畑や、庭を作りたいと思っていた僕ですが、このおばちゃんは、こんな砂利の駐車場の片隅でそれを見事に実践しているではないかと。このことがきっかけで、それからの駅の行き帰りでは、庭仕事をするおばちゃんの姿があれば言葉を交わすようになったのです。

ある日、おばちゃんはぼくに「このバラもらってくれないかしらね?」と尋ねてきました。「家を新しく建て替えるから、ここのお庭も全てつぶしてしまうのよね」と。「他に貰い手がないなら、ぜひ」と伝えると、おばちゃんは「他の鉢も、持っていってくれたら嬉しいわ」というので、ぼくは「はい、後日また、車で取りに来させてもらいます。」と伝えました。

そして、連れて帰ってきた、大小さまざまな鉢に入った、草花達、あのブドウの木も。鉢は30〜40近くあったでしょうか。それを見た母は「こんなに一杯どうするの?」と率直な感想を伝えてくれました。ぼくも、有り余るほどに引き取ってきた責任を感じ、庭に棚を作ってきれいに並べたりしていましたが、やはり母の美的感覚には、どうにも納得がいかなかったようです。そして、やるといったら中途半端では終わらせない母が、雷鳴のごときひと言を発しました、「よし、お庭を全てつくりかえましょう」。

は、は、は!、パーマカルチャーを早く実践したいと思っていたぼくには、まさに願ったり叶ったりです。まずは、この東京の実家の小さなお庭で、それを試せるチャンスが巡ってきたのです。しかし、我が母は一筋縄では行きません、「これから、お庭のデザインコンペをします」といって、母が調べて気になったプロの造園業2社にもこのお話を依頼したのです。ぼくはぼくで、仲間とチームを作り、コンペのための準備をはじめました。そして、すべてのプレゼンが終わった後に、母は「あなた達の案が一番ワクワクしました、あなたたちにこの予算を渡したいと思います」と、ぼくたちの案を採用してくれたのでした。

そんなこんなで、作りはじめたお庭。あれから、もうまる4年。ぼくはもう遠くに居を移してしまいましたが、ここに住む人たちの想いが折り重なって、ますます素晴らしい場所になっているのを感じられた、春うららかな東京帰省でした。高知からの夜行バスでの早朝の帰宅を一番に迎えてくれたのも、門を覆うように育ったモッコウバラでした。その姿は、天に昇る梯子のごとく。

 

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