あれま、あれま、もう7月も後半。早いもので、1年ももう半分以上過ぎた。(「早いもので〜」という、くだりの表現が、年を取るに連れて、年々増えていきますね。)

昨日、今日と、四万十の山の中から、お泊まりで高知市へお出かけ。自宅ではインターネットもないものだから、このBlogもなかなか更新できず。普段は、お出かけ先にWifiスポットがあって、そこが書き物になかなかに集中できる環境で、そしてまさにそのタイミングで書きたい欲が発せられたとき、その振動を指まで伝わらせ、キーボードを叩く、といった具合です。(最近は、wifi spotが、道の駅、コンビニ、Cafeなど、いろいろと充実してきましたね。四万十の周りの友達は、ぼくと同じ、野良電波キャッチスタイルの人が多いので、「あそこの電波はサクサクだったよー」と電波情報を口頭で交換しあっています。)

けど、Blogを書きたいという欲はあるのですよ。とくに、「さらだの本」を執筆してからと言うもの、しばしの「書きたい中毒」にかかりました。そして、この中毒症状なら、長年思い続けている「旅の本」をついに書き上げることができるのでは!と思うまでに至っているのです。しかし、「書く」と言うのも、本当に筋肉ですねー。毎日、毎日のトレーニングが必要。これは、瞑想でもまったくに同じで、「瞑想毎日やっていて、飽きないですか?」「よく、そんなに続けられますね?」と言われることがしばしあります。けど、プロのサッカー選手には、「そんなに、毎日毎日、小さな頃からサッカーやっていて、よく飽きないですね」とは質問しないですよね?そう、毎日やっているからこその、次々に現れてくる新しい景色があって、そこに新しい発見があって、そこには飽くことのない魅力が潜んでいるのです。瞑想にしろ、サッカーにしろ、1年に数回とかやるぐらいだったら、「あーしんどいわー」だけで終わってしまって、「おっ、前より上達したかも!」という、わくわくする高揚感はなかんか生まれませんよね。

今朝は、泊らせてもらった友人宅にインターネットがあるものだから、朝から勝手気ままに、「ほー、家にインタネーット、書いて、書いて、快適!」といった具合に、綴っています。。

 

こちら、Blogに書きたいと思っていて、書けずじまいにいた過ぎ去りし春の思い出、

今朝の勢いに乗せて、載せてみます。

 

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鎌倉の山の方にある、小川純一くんのアトリエでの4月に行った音楽会。

春のやわらかな日差し、やわらかな新緑の感触。このサンルームでの演奏会は、いつも背後に広がる自然を感じながらの演奏だ。その自然のエレメントが確かに、ぼくという管を通して、音となる。さらには、鳥も一緒にさえずってくれるのが、嬉しい。そんな光りに包まれた時間の思い出。思い出とは、過ぎ去りし過去のものだが、その心に残る振動が今というこの瞬間にも響いてくる。その響き、いまというこの瞬間もこころ洗われる、そんな思い出、また一つ。

LIVE後は、じゅんいちくんが恒例のまかないカレーを作ってくれた。じゅんいちくんのカレーはいつもさらりとしているけど、しっかりとうま味がある、なかなかにわきまえ、心得、見事なカレーだ、と毎度のごとく、ついつい、お替わりの手が伸びる。(カレーなる一皿から、作り手の性格判断ができそうだ。)

そして、その晩はじゅんいちくんのご提案により、西荻窪に場所を移し、「食堂くしま」にて「4月のコースメニュー」を頂く。素材と向き合い、自分の感性の光りをかざして生まれてきた、品々。お皿が目の前に並べられるごとに、そう感じた。その心配り(それは、素材に対する心配り、その素材に手を入れることの心配り、それをお皿に盛りつけ目の前の客人に振る舞う心配り)を、堪能させてもらっているようだった。あとから、食堂くしまのHPをみたら、「毎回のコースは色をテーマにしている」というような、記述があり、さらに感動した。そういえば、どのお皿も、淡い緑だったな。新緑の4月、緑の振動が心に、体に嬉しかった。(じゅんいちくんがその時のお料理の写真をコチラにあげています。)

と、思っていたら、ぼくがその日にLIVE後に出したケーキにドリンクもグリーン、グリーンでした。こちら、もっとヴィヴィッドな緑ですね。

 

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おいしい食事を頂きながらの、その場を共にした仲間との楽しい語らいのとき。これも、また、食事の一つの要素。ぼくは、料理を仕事にしてお金を頂くことをしていながら、自分自身で食にお金を使うことがほとんどないので、その意味も含めて、お金を払い、素晴らしく、満足な体験をさせてもらった。じゅんいちくん、くしまくん、ありがとう。この2人の姿は慎ましい。慎ましく、自分らしさを謳歌している。

 

4月、東京・青山でのコミュニティー・ランチの思い出。

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それは、もう、ずいぶんと前。ぼくは大学生で、Kawasaiの緑色(お!、また緑)のオフロードバイクに乗り、お洒落受信電波を張り巡らせ、東京中を滑走していたころのお話。芸術の秋とやらで、東京・青山にて、これでもかとしびれてしまうお洒落なイベントのパーティーにて、大学生になったばかりのまだ10代だった、ジョージ(日本人です)と出会った。なんで仲良くなったのか覚えていないが、それは、立食パーティーでご飯を装っているときに、隣にいたのがジョージだった気がする。そして、彼は何ものなのかよくわからないけど、年下のジョージは、その後、いろいろなイベントにぼくを誘ってくれた。(中でも一番の思い出は、ブリトニーズ・スピアーズのCDリリース、シークレットパーティーに連れて行ってもらったこと。)

そんな思い出は、もう15年近く前のことだろうか。時が経ち、ジョージはイベントを企画する仕事をしていて、ふと忘れた頃に「こんな楽しいこと今考えているんだけど、たくやくんもこれ一緒にやろうよ!」といった具合に連絡がくる。

今回の何年かぶりのメールも、そんな感じだった。そして、彼のニコニコ笑顔は交渉・説得力が抜群で、ぼくは「おう、やろう!」とお返事する。

そして、イベント当日。あれま、もうここは、東京のお洒落最先端な場所ではないですか。バリバリ格好良くクリエイティブな仕事をしている人々。そんな人たちに、ぼくが食事を振る舞って。「おい、ジョージ、ぼくたちが初めて出会った時のような場所を、今、ぼくたちが自分たちで作っているじゃないか・・・」、そんなことも思ったりして。

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偶然にも、ここの建物の屋上では、ここ数年親しくさせてもらっている、ここ数年のぼくをよく知ってくれている、尊敬する年上の友人・のりかさんが屋上庭園を作っている場所だった。ご飯会には、屋上の野菜を頂いた。そんなご縁で、ジョージくんにのりかさんを紹介する。のりかさんにジョージくんを紹介する。

人が交錯する、それは、東京という都会の面白いところ。15年前のあの時は、ぼくたちとのりかさんは全く違うフィールドにいただろう。それからの個人の環境の変化、思考の変化によって、何回も何回も、フィールドの境界線をまたぎ、その新たな場で出会う人々、去りし場所出会わなくなる人々。また、個人の変化と同じく、この境界線も日々、ぐねぐねと変化し、動いている、有機体であって、気づけば「あれま、あっちにいたつもりが、気づけば、こっちにいる私!」「そうして、出会ってしまった、あなたと、わたし」。そんなこんなで、またここで、こんなメンバーで、出会うのですね。

東京でイベントをすると、東京に住んでいた頃のお友達に一杯あえて嬉しいです。そんな、春先でした。

ジョージくん、ありがとう!

 

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以上、徒然なる過去の回想録。

書き記す、いま、この瞬間。