おぉ、連日の投稿です!

 

ビーチ執筆サーフィン生活

なかなかこちらのビック・ウエゥーブには乗れませんが、

執筆活動は波に乗ってきたようです!

 

しかし、そろそろオーシャン・ウェーブにも乗りたいものだ。

ザブーン、ザブーン・・・

 

* * * * *

 

ぼくの旅路:その5

番外編

【エゴを見つめる・ネイティブアメリカンの教え】

当時のわたし:26歳

 

 

[エゴイズム:社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方。利己主義]

 

 

 昨日投稿の『ぼくの旅路:その4』で、「負けたくない」という優越感、劣等感が織り混ざった気持ちについて少し言及しましたが、せっかくなので、その感情にまつわるエピソードについてもう少し書きたいと思います。あの夏、ぼくは、自身の「エゴ」というものを、はじめてありありと見つめなければならない機会を与えられたのです。

 話は1999年大学1年生20歳から、大学を卒業してそのまま放浪の旅に出て1年半が過ぎた頃の2005年のぼくが26歳の夏のことです(1999年と数字が並ぶのを見ると、もう一時代昔のことを実感しますね・・・)。大学生の頃からお話を時系列で書いていこうと思っていましたが、なかなか長くなりそうなので、たまに、書きたいことが鮮明なことは、こうして番外編を書きますね。

 それは、アメリカのネイティブ・アメリカンを訪ねるために、馬旅をしていた中米・グアテマラからヒッチハイクを重ね、アメリカ北部サウスダコタ州を目指した夏の記憶。

 目的は、夏至の日に行われた、ネイティブ・アメリカンが呼びかけ人となり、世界中の先住民たちが集い、世界平和を祈るというギャザリングに参加するためでした。そのお話は後々にするとして、そのギャザリングの縁で、その夏至の始まりからの一夏を地元のネイティブ・アメリカンの人びと過ごす機会をいただいたのです。

 夏至を境に、太陽が強さを増して行くこの時期に、彼らのセレモニー・シーズンが始まります。グアテマラで出会い一緒に北を目指したぼくたち日本人の仲間たちは本当に光栄なことに、ほとんどの時間をセレモニーが行われる彼らの聖地でキャンプをして、一緒にすごさせてもらったのです。セレモニー時期ということもあってか、週に何回も憧れであった、スエット・ロッジに入らせてもらいました。そう、彼らはぼくにとって憧れのヒーローであったのです。母なる地球の教えを代々守りながら、自然と調和して生きて行く知恵を携えた人びと。日本で悶々とした大学生活を送っていた頃、本屋さんや図書館で「インディアン」という文字が並んでいるのを見ただけで、こころにパッと光りが灯される思いでした。特に「リトル・トリー」というインディアンの少年を綴った本は大好きで何度も読んだり、友達にプレゼントしました。あの夏、ぼくは本の中のヒーロー達と、そこに綴られているような日々を過ごしていたのです。

 以下の、彼らの儀式についての見解はあくまで自身の経験から綴ることをご承知ください。ぼくの彼らに対する浅はかな知識で彼らの神聖なスピリットを文字化することに幾ばくかのためらいもありますが、あくまでぼく自身が受け取り消化して、昇華してでてきた体験談です。

スエットロッジはさまざまな用途で行われていました。清めの儀式と言われるだけに、儀式の前に心身を清める為に行われるもの。ぼくも、夏至の世界平和の祈りのギャザリング中にスエットロッジに入らせてもらったのがはじめての経験でした。枝で組んだドームには毛布がかけられ、四つん這いになって入るほどの大きさで、その中で男女別れて肩と肩を触れ合わせながら丸く座ります。そしてドームの真ん中に設けられたくぼみには、外で何時間も焚き火の中で熱せられた石たちが運び込まれ、入り口の幕が下ろされます。一番出入り口に近いところに陣取ったチーフの呼びかけとともに、石に水がかけられ、それは一瞬として蒸気となり、引き締め合った男、女たち、子供、青年、大人、老人たちの身を焦がしていきます。したたる汗、時に苦しみをともなう熱さが襲ってくる。それをみんなで耐え、祈り、一体となって乗り越えていく強さ。そして、開放の喜びを共有することの意味。

 このスエットロッジの儀式をとおして、火・水・空気・大地・光という自然のエレメントがよりリアリティをもって感じずにはいれません。火によって熱せられた石と水の鮮烈な交わりによって、水分は一気に蒸気として空気に放たれ、ぼくたちの身を包んで行く。熱せられた空気に息を吸い込むことも辛いほどに。自然と、またはその蒸気から逃れるために、より新鮮な空気を求めて地面に身を這いつくばらせる。衣服を解き放った肌に直に、全身で感じる大地の感触のぬめやかな優しさ。ラウンドのごとに幕が開けられ、暗闇に光りが差し込む。滑り込んでくる外の馴れしたんだ空気のありがたさ。そして、4ラウンドを終えてドームから出てきたときに、またこの世界に、皆とともに、待っていてくれる人びとの元へ、戻ってきた喜び。自然のエレメントが、我が身とスピリットを浄化してくれたことの確かな実感。

 時に、スエットロッジはコミュニティを育むために、村のみんなで入ったりすることもありました。石を燃やす火の番は若い青年がチーフに任命され、青年は、他者の浄化の手助けをできることを誇りに思い、ながい時間火を絶やすことなく守り続けてくれていました。スエットロッジの中には、老若男女の人びとが肩を寄せ、肌と肌を触れ合わせて座っています。ラウンドが進み、チーフの導きによって、トーキングスティックを与えられたものの祈りの言葉が発せられる。そこにいる皆は、ただただ、黙って耳を傾ける。それは時に、我が子が無事に育つことをグレートスピリッツへ感謝する母の言葉であり、その言葉を受け取った子供の祈りでもあった。そんな母の愛の言葉を隣でじっと聞いていた幼き子にトーキングスティックが渡される。その子供は「お母さん、美味しいご飯をいつも作ってくれてありがとう。ずっと元気でいてね。」と、大人たち一同が集まった面々の前で立派に気持ちを言葉にする。その様子を大人たちは、一人の自立した人間として見守り、その言葉を全身全霊で沈黙とともに聞く大人たちの意識。ぼくはこのようなコミュニティーの育み方に甚く感動した。こうやって、彼らの個としての、コミュニティーとしての強さは育まれて行くのかと。それは、彼らのこころの大きさといってもよいものであった。

 

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なかなか、本題の[エゴ]に辿り着けません。。。

また、明日!

 

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