寒い!

先週は、40度以上もあったのに、夕立が何日か降ってから、すっかり秋の気配(なのでしょうか?夏は終わったのか?新しい土地、よくわからん・・・)。

今日は、部屋の窓を閉め切った。

 

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日本からロシアへ降り立った空港で出会った、ロシア人の旅人が話していた言葉。

ぼくが、空港にて、ロシア語が全くわからず、四苦八苦していると、「英語は話すかい?」と話しかけて助けてくれた。よれよれのバックパックに、ギターケースが旅慣れた感じ。歳はぼくと同じぐらいかな?、と推測。

しばし、会話を交わす。彼はアジアを中心にずっと旅をしてまわっているらしい。それで、1ヶ月だけ生まれ故郷へ帰ってきたとのこと。旅先での様子を少し語ってくれた。

あるインドの宗派は、寺院で、奉仕でごはんを作って食べさせてくれるらしい。その宗派の寺院は、世界中にあって、彼もいろいろなところでそのお寺に巡りあったのだけど、最近では中国の雲南省でも、そのお寺を訪ねてきたとのこと。

「そこの食事は、どこの寺院でいただいても、本当に美味しいんだ」と、斜め上を見ながら、つぶやく。その空に、ピカピカのステンレスのターリーのお皿が、ちょうど入るぐらいの円を描くかのように。

ぼくも、インド料理を懐かしみつつ「あー、インド料理美味しいよなー」と、彼が描いた斜め上の円を見つめる。彼の故郷のロシアの空が広がっている。

「そこで提供される食事は、本当にピュアなんだ」と、彼は続けた。

いままでも、ご飯を表現する「ピュア」という言葉に、出会ったことがある。日本語でその表現を使うかなと思ったら、どうもしっくりこないから、やはり旅先で出会った人びととの会話の中からの記憶だろうか。

「インド」、「寺院」というキーワードから、「ピュア=ベジタリアン」ということかな?と、その言葉の像を探る。いままでぼくが持っていたこの表現に対する解釈も、やはり、「ピュア=ベジタリアン」界隈のことだろうと、ぼんやりと捉えていた。

「寺院でご飯を作っているひとたちは、奉仕の喜びに満ち溢れながら料理をしているんだよ。彼らの意識は100%料理に向かっている。そうして作られたご飯は、バイブレーションが全く違う。食べたときの、満たされ方が全く違うんだ。」

彼の言葉とその姿。

「ピュア」の意味が、ようやく、腑に落ちてわかった気がした。